Chapter 3 Drawing (ドローイング)

 日本のアーチェリーにおいて基本とされる「正十字」は、和弓における基本が単にそのまま導入されたものではなく、アメリカやヨーロッパでも元来「Basic“T”Body」と呼ばれ日本と全く同じ射形が基本とされています。そしてこのフォームを完成させるには、どちらもスタンスから始まりセットアップ、ドローイング、アンカーリングと決められたチェックポイントをひとつづつ確認することで造り上げられていきます。それはちょうど積み木を足元から一個づつ積み上げるのに似ています。どれをどの順番で、どこに置く、というように外見上の位置を指示し積み木をその場所に置いていくのです。しかし初心者はそれで充分であっても、上級者においては不充分です。なぜなら、上級者はその置く位置と共にそこへの「置き方」が問題になるからです。たとえ同じ場所に置かれていても、上級者はそこにどのように置いたかが重要なチェックポイントとなります。シューティングとは「動作」です。固定された美しさを競うのではなく、動きの内容それ自体が評価されるのです。
 1984年ロサンゼルスオリンピック。ダレルはアメリカがボイコットした1980年モスクワオリンピックをはさみ、8年前のモントリオールの時と同じように、いとも簡単に2個目のゴールドメダルを手中に収めた。
 ではドローイングという動作で注意を払うべき点は何でしょう。実はドローイングには目に見える位置関係での注意点はあまりありません。なぜならドローイングはセットアップからアンカーリングの間にあるチェックポイントですが、そこではセットアップで確認された押し手の肩の位置も、引き手のフックの指も実際にはドローイング途中で変化していき、アンカーリングした時にはセットアップ時の位置とは異なってしまうのが原因しています。しかしだからといってドローイングを軽視してよいことにはなりません。逆にこのような「流れ」の中にあるからこそ、この点と点の間にある「空間」を埋める作業が重要な意味を持ってきます。この空間の処理にこそレベルアップの成否があるのです。
 例えば近年、ビジュアル機器の普及発展に伴いアーチェリーの記録や研究も一昔前であれば写真中心であったものが、どんどんビデオやそれに類するものに取って変わるようになってきました。現に僕自身、試合前にはダレルの秀逸とも呼べる1984年ロサンゼルスオリンピックでのシューティングをよく見るのですが、いろいろな人が撮ったビデオを見て思うことにレベルの低いアーチャーほどその注目の対象がリリースという動作に集中することです。しかし、リリースという部分を研究するならともかく、シューティングという完成されたフォームを見ようとする時、限られた動作ばかりを見せられることはイマジネーションの欠如に繋がります。ビデオでダレルのフォームから学ぼうとするなら、それは矢をクイーバーから取り出すところから始まり、フォロースルーの後弓を降ろしたところで終わる「流れ」であり「リズム」であり、「雰囲気」であり「迫力」です。それらは決してハイスピード撮影で得られるものでもなければ、リリース部分の繰り返しから理解出来るものでもありません。通常のスピードでの一連の動作から学ぶものです。
 このように「空間」には目に見える位置関係としての「線」(通り道)以外にも多くの「何か」が隠されています。「流れ」「スピード」「リズム」「バランス」「タイミング」「雰囲気」「大きさ」そして「迫力」等といった要素は、目に見える部分以上に実際のシューティングや的中に影響をおよぼします。そしてこれらの要素こそが主観的事実であるところの「イメージ」や「感じ」によってしか獲得出来ない部分に存在しているのです。
 
ロープを緩めてドローイングは出来ない
 すべてのアーチャーがドローイングで注意しなければならないのは、セットアップからフルドローに至るまでの引き手の肘の位置です。つまりドローイングの際、引き手の肘を矢の延長線より絶対に下げないことです。これはダレルに限らず、すべてのトップアーチャーが注意し、共通している点です。実際、肘を下げた引き方でトップになったアーチャーはいません。ドローイングでは、引き手の手首より肘の先端を必ず高く構えることです。
 フック(引き手の指の部分)そのものについては後で詳しく述べますが、引き手全体でいうならそれは鉤(かぎ)にロープが結び付けてあるものをイメージするとよいでしょう。フックが鉤で、そこに付いたロープが肘を伝って背中に繋っています。アーチェリーはこのロープで引くものです。その時のロープの引き方は、ターゲットと逆方向の先端(肘の先)を引っ張ったり、バックテンションと称してロープの付け根を巻き上げるなど、やり方は人それぞれですが、ロープを緩めて(肘を下げて)いたのでは余分な力がフックに入り満足なリリースが出来ないばかりか、場合によってはストリングをアンカーポイントまで引いてくることすら難しいでしょう。ロープが張られ、三角形が小さく(一直線に)なってはじめて「手首のリラックス」が確保出来るのです。
 ではドローイングの間、もう一方の押し手はどうすればよいのか。まずここでは肩の位置について話しましょう。先にも述べたように肩はセットアップ時とフルドロー時では位置が異なります。セットアップではフックを一旦ストリングハイト位置(ストリングが引かれていない位置)まで持ってくるため必然的に胸(肩を結んだ線)が開いた状態になるのに対し、フルドローでは矢がクリッカーの落ちる寸前まで引かれるので胸は矢と平行になります。つまり、アーチェリーにドローイングという作業がある限り、肩は常に固定されるのではなく、肩の位置はドローイング途中のある程度ストリングが引かれた所で決められるわけです。だからといって肩の位置を考えなくてもよいというものではありません。そこにもアーチャーが守らなければならない基本があります。ではそのようにして決まるフルドローあるいはアンカーリングの時の肩はどの位置にあればよいのか。答えは「正十字」に示されている位置での保持です。
 では「正十字」とはどんな形(フォーム)なのか。まず、@弓を持たずに肩幅かそれより少し狭く足を開き、A背筋を真っ直ぐ伸ばして立つ。次に、B両手を左右へ、肩の高さまで真っ直ぐ開き、C左を向き、軽く顎を引く。そしてDその顎の下に右手を添える。これが「正十字」であり、この簡単なことを弓を持ちながら、引きながら行えばよいのです。
 しかしここで問題となるのは、初心者のみならず上級者においてもこの「正十字」と呼ばれるフォームの獲得があたかも難しい技能のように考えている現実が、少なからず存在することです。しかしそう考える多くのアーチャーは、自分自身が基本をマスターする初期の段階で過ちを犯した人たちです。なぜなら生理学の原則では新たな運動スキル(技能)を身に付けようとする場合、それ以前に形成されているスキルに対して再教育を行うのと、全く白紙の状態に教育するのでは後者の方がはるかに簡単であるとされています。このことは一旦間違った技能を身に付けてしまった場合、それを正しいものに改造することの困難さを示すものであると同時に、初心者指導において指導者は正しい技能を習得させるのに最大細心の努力を払わなければならないことを意味しています。「正十字」は極めてシンプルかつ獲得し易いフォームです。正しい指導と訓練さえすれば、極めて習得しやすいフォームなのです。
 1991年、シューティングプラクティス(練習・50m)。フルドローで胸は矢と平行になる。そして矢筋が通ることで、上半身のすべての位置と力は平面の中に収まる。
 シューティングという動作は、すべてフルドローで造りだされた平面の中で行われ、終了する。
 
弓を持たずに出来ないことが弓を持って出来るはずがない
 ダレルと話している時、彼もよく弓を持たずに「Basic“T”Body」をはじめとしたシューティングの格好をすることがあります。そんな時いつも思うのは、トップアーチャーほど弓を持たなくても自分のフォームを確実に再現できることです。それもハイスピードでもスローモーションでも思いのままにです。しかしこれはうまく弓が射てるから弓を持たなくてもできるのではなく、実は弓を持たずにできるからこそ弓を持ってもできると考えるべきです。
 「イメージトレーニング」「イメージシューティング」という時、それはまず頭の中で考え描くところからスタートし最後には実際のシューティングに結び付けていくわけですが、思うほどに簡単ではありません。なぜなら実際のシューティングは2sもの重さ(弓の重量)を支え、20sもの強さ(弓の引き重量)を引っ張りながら理想とするシューティングフォームを造り出さなければならないからです。だからこそ「イメージ」と「実際」の間に「シャドーシューティング」と呼ばれる重要なトレーニングが必要となるのはそのためです。頭で考え描いているフォームをまず弓(道具)を持たずに具現化し、次に実際のシューティングに結び付けていきます。いわば、シューティングの本番に備えての「予備訓練」ともいえるもので、ドローイングやリリースといった空間の中で処理される動作に特に有効です。そしてこのシューティングはイメージ同様に実際に弓を使わないため、重さや強さといった負荷は身体には掛かりません。
 ところで、押し手について常に議論にのぼることに、実際のドローイングでは押し手は押すのか、止めるのかというものがあります。これはシャドーシューティングと実際のシューティングを比べてみるとよく分ります。
 まずシャドーシューティングでドローイングを行い、フルドローでの正十字を造ってみます。この時には弓の重さも強さも無関係なため、無理なく自然にフォームを組み立てることができます。では同じ動作を実際に弓を引いて行うとどうでしょう。ドローイングという動作はそのセットアップされた矢がストリングハイトの位置から1インチ、2インチ、3インチと序々に引かれるにつれて、両手(グリップとフックの間)に掛かる張力が5ポンド、10ポンド、20ポンドと増えてきます。ということは、押し手の肩がその動作の間止まって見えるということは、5ポンドに対しては5ポンドで押し、10ポンドに対しては10ポンドで押しているということで、初めて止まった状態が保たれているに過ぎません。実質40ポンドの弓であれば、フルドロー時、40ポンドで押し続けている。これが、押し手は押すか、止めるかの答えです。
 ダレルもドローイング中、引き手のロープを緩めないのと同じように、押し手はシャドーシューティングで確認している位置に保つべくゴールドに押し続けています。ドローイング途中で一旦決まった肩の位置がその後変化せず、微動だにせず固定されているように見えるのは、何もしていないのではなく、身体の内面では力を掛け続けているからこそできることなのです。ただ、それが引き手のように目に見えた動きではないだけのことです。
 ではこのように押し続けられている押し手の肩に対して、引き手の肩の位置はどうでしょう。これに関してはあまり考える必要がありません。ロープさえ真っ直ぐ張られていればその肩は自然に正十字の位置に治まるからです。もしあなたが指導者としての立場のあるアーチャーなら多くの全くの初心者を教えた時、男性と女性ではどちらが最初から自然なフォームで弓を引くことが出来たでしょうか。多分それは圧倒的に女性の方が多かったはずです。基本を身に付ける初期の段階で男性は腕力があるだけに、ひとつの形を造るのに、それを力で押さえ込んでしまう傾向があります。それに対して女性は非力な分、最小限の筋力で無駄なく無理なくフォームを組み立てていきます。このことが女性において自然なフォームを獲得させる最も大きな理由です。このように「置き方」を間違わなければ、置く「位置」は自然と決まってくるものです。
 シャドーシューティング
 
中指で引かれる一本の線はドローイングから始まる
 ここに20s(約44ポンド)の荷物があるとして、それを30m離れた的の前まで運ぶとします。その時、的まで線が引いてなかったとしても、誰が運んでも的までの最短距離を真っ直ぐに歩いて行くはずです。わざわざ重い物を持って遠回りをする人はいません。ドローイングもこれと同じことです。セットアップのフックの位置から顎の先端(アンカーの位置)まで、ノッキングポイントを最短距離を通って運んでくることです。
 ではセットアップという点からフォロースルーという点までの間で、右手の中指が描く線を想像したことがありますか。シューティングとは矢と同じように、中指が最初から最後まで真っ直ぐな一本の線を引く動作なのです。そう思えばアンカーとはその一本の線の上に顎が乗っている(置かれている)状態であり、大変重要と思い込んでいるクリッカーの瞬間さえも、それは長い一本の線の中のひとつの「点」にしかすぎないことに気付くはずです。にもかかわらずほとんどのアーチャーはこのドローイングという動作がクリッカーを鳴らしたり、リリースをするのとは違った世界の動きと思い込んでいます。
 アーチャーの中には、肩や押し手の位置を確認するために、その流れやリズムを止め必要以上に筋肉に疲労を強いる人がいます。また何人かのアーチャーはアンカーリングと称して、せっかくそこまで真っ直ぐに引いてきた力の向きやバランスを変えたりします。確かにこれらの動作は初心者が位置や感覚をマスターする過程においては必要なものかもしれません。しかし、すでにそれを身に付けた上級者にとっては全く無意味な作業なのです。上級者にドローイングで要求されるのは、ここから始まり作られる「流れ」や「リズム」そして「力の方向」「左右のバランス」であり、そこから生まれる「イメージ」こそがクリッカーを鳴らす瞬間、そしてその後にくるリリースを作るのです。クリッカーを鳴らす動作とは決して力(腕力という意味で)で行うものではありません。
 もちろん、ダレルをはじめとするチャンピオンでも、流れを中断して引き戻すことがあります。しかしそれはほとんどの場合コンセントレーションに乱れが生じ、グッドシューティングのイメージが阻害された時にほかなりません。しかも彼らにとって引き戻しは、非常に稀なことです。
 引き戻しに関連して、練習、試合を通してよく耳にする言葉に「力が無い」や「練習不足」「力不足」という発言があります。しかし本当でしょうか。クリッカーを鳴らす瞬間とは、考えてみれば矢の長さでいえば半ポイント(たかだか2〜3mm)であり、実際には0.1mmといったコンマ何mmといった世界です。それに対し矢の長さは約700mm(28インチ)です。ほとんどのアーチャーはこの700mmを引き、その状態で10秒近くホールディングしたあげくにこの言葉を口にするのです。それはどう考えても嘘であり言い訳にしか思えません。「クリッカーの鳴らし方が分からない」「伸び方を知らない」あるいは「射つのが怖い」というならまだ理解は出来ても、「力不足」だけはどうしても納得がいかないのです。
 シューティングプラクティスとは「射つこと」の練習である。まずは射ってみて、そこから何かを始めなければならない。

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