ヤマハのレンジ

 2002年9月13日(金)。最後のヤマハカップに行く途中に、久しぶりに寄って来ました。
 浜松市中沢町。「中沢のレンジ」こと「ヤマハアーチェリーレンジ」です。
 初めてここで射ったのが1973年グルノーブル世界選手権の強化合宿。それ以降なんどか足を運んだのですが、何よりも1977年から1986年までヤマハ(当時は日本楽器製造株式会社)に籍を置いた9年間はここがホームレンジであると同時に、新製品の開発やテストの場でもありました。ともかくは青春の後半を過ごした場所です。一時期は右の方にレールがひかれ、その上をシューティングマシンが移動できるようにもなっていました。また研究開発の機材なども置く選手用のボックスもありました。
 とは言え、ヤマハの業務や福利厚生にのみ使われるレンジではなく当初から地域や一般のアーチャーに開放され初心者教室や試合が行われるだけでなく、大学の合宿や高校のクラブにも使われてきました。
 しかしそんな浜松の中心の一等地にあるこの立派なレンジですが、ヤマハがアーチェリー部門から撤退した今、企業としてこのまま残してくれることはないでしょう。
 すでに左手にあったヤマハの研修会館に上がる階段も撤去され、的側側面も駐車場に変わってしまいました。
 日本のみならず、世界アーチェリーの発信拠点のひとつが消えようとしています。ヤマハ撤退同様、もうどうしようもない現実なのですが、それであればなぜそうなってしまったのか。そしてこれから何が必要なのかを今こそ考えてみたいと思います。

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