「美しく射つ」ということを考える時、それは自己満足としての評価ではなく、「誰が見ても美しい」という客観的評価でなければ意味がありません。 |
アーチェリーという競技は結構この第三者からの評価が的を得ている場合があります。例えば練習場の横を犬を連れた話好きのじいさんが散歩していて、「あんた、それちょっとからだ捩じれてへんか!!?」的なことを言われたり、家で夜弓を組み立てて素引きをしていると「その腕、曲ってない?!」と親や嫁さんに指摘されたりするものです。ここで大事なことは、あなたがオリンピックや世界選手権を目指さないのならなおさらこの種のアドバイスに真剣に耳を傾けるべきです。なぜならアーチェリーはスポーツであり、スポーツである以上は健康のため身体のためにするべきであり、そんな時身体が捩じれたり傾いたり他人から見て変な格好でしているのはやはり不健康であり、本来のフォームではないはずです。 |
とは言っても、いつも赤の他人や素人の意見を待っていてもうまくはならないでしょう。やはりちゃんとした指導者やコーチにアドバイスを仰ぎ、長期的かつ計画的な指導を受けるべきです。しかしアーチェリーという個人競技をそこまで熱心にやろうという人間に限って、他人の意見など聞かない立派な性格の持ち主である方が多いのは事実であり、また、残念なことに才能あふれる指導者が少ないことも現実です。 |
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指導者やコーチはその中に「美しく射つ」という評価基準、あるいは目標があるかは別にして、当然当てるためのノウハウを教授してくれます。しかしここで注意しなければならない重要な点があります。それは彼らがどこまであなたと「信頼関係」を築け、どこまであなたの心に語り掛けることができるかという問題です。 |
レベルアップを目的とした「コーチング」や「指導」とは何か? との問に答えた名言のひとつに「客観を主観に翻訳すること」という回答があります。よく指導者の中には「リリースを取られるな!」とか「押し手を落すな!」とアドバイスする人がいます。(誤解のないように付け加えますが、初心者指導においてはこれで十分ですが、中級者以上のアーチャーにとっては不十分ということです。) しかし、これは現状を述べているだけであって、「理由」と「方法論」がまったく語られていません。また方法論を語ってくれても、「この筋肉を使い、肩甲骨をこの位置にもってこい!」とか「上腕二頭筋を緊張させろ!」的な指導をする場面に遭遇します。しかしこのようなアドバイスを受けても多分アーチャーは混乱するか拒絶反応を起こすのが関の山です。なぜならこの種の指導はそれを専門に研究している人間にとっては「客観的事実」として不可欠かつ絶対であっても、それを実行するアーチャーにとっては何ら意味をなさない言葉だからです。 |
犬の散歩をするじいさんであろうが偉い先生であろうが、アーチャーにとっての具体的レベルアップにおいて必要なことは「主観的事実」なのです。実際に自分の身体を動かすためには理論より「実際」なのです。そして「主観的事実」とは言葉を替えれば自分自身の「感じ」であり「イメージ」であり、自分の身体をコントロールし、動かすための「方法論」なのです。 |
上腕二頭筋を使わせたいなら「力こぶを作るように・・・」であり、リリースを取られないようにしたいなら「ジャンケンポンで手を開く・・・」なのです。そこに理論と実際の明確な一致は必ずしも必要ありません。あくまで方法論であり、身体を動かすための手助けなのですから、あるアーチャーは肘を突く感じでリリースが鋭くなる者もいれば、ある者はストリングの返る音を手がかりにリリースのスピードを高められるかもしれません。良い指導者、コーチとは良い結果や求める理想に近づくためにどれだけのイメージを駆使しアーチャーの心と身体をコントロールするかなのです。 |
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もしあなたが中級者以上のアーチャーなら、レベルアップが練習量やキャリアに正比例しないことや、それがある日突然にやって来ることをすでに知っているはずです。「当てたい」「勝ちたい」「強くなりたい」といった情熱が練習時間を作り出しレンジへ足を運ぶための原動力とはなっても、具体的なレベルアップの手段、方法でないことは理解しているはずです。明確な目的意識と正しい理論に裏打ちされた努力、そしてその実行のための勇気こそが、今あなたに必要なのです。 |
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