そう、「勝てば官軍」です。勝ったモン勝ちです。 |
だから、それはそうとして、 |
アーチェリーの日本代表男女6選手が10日、選手村で記者会見し、シドニー五輪で個人5位の川内紗代子(ミキハウス)は「4年間取り組んできたことをしっかり出したい」と抱負を語った。日本は昨年の世界選手権女子団体で準優勝。同じメンバーで臨む五輪でもメダルが期待される。(8月10日 サンスポ.com) |
前回シドニー五輪5位の川内が2回戦で姿を消した。第4エンドを終えて大接戦。しのぎ合いになったが、第5エンド3本目に大きく外し5点。これが致命傷になった。「競り合いになって少し緊張した。ちょっとタイミングがずれて…。この結果だから自分の力が出せたとは思えない」と団体戦での巻き返しを期していた。(8月17日 サンスポ.com) |
朝一番に始まった女子団体1回戦。メダルを目指した日本は、台湾に大差で敗れ初戦敗退。昨年の世界選手権で銀メダルに輝いた3人娘の五輪挑戦は、あっけなく終わった。男子個人でベテラン山本が銀メダルを獲得した前日の勢いに続けなかったが、エース川内は「このチームだからここまでこられた。この3人じゃなかったらこられなかったと思う」と必死に笑顔をつくった。
(8月20日 サンスポ.com)
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やはり当初の目標、予想は何だったのかを思い出して、反省と責任ははっきりしないとだめでしょう。総括は決してお忘れなく。 |
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ところで、近代オリンピックにアーチェリー競技が採用されたのは、1972年ミュンヘンオリンピック。実は1964年の東京オリンピックでアーチェリー競技が採用される話があったようですが、実際には52年ぶりにミュンヘンで復活し、全ア連も選手団を派遣しました。 |
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2度目の参加が、1976年モントリオールオリンピック。道永
宏がアーチェリー競技で初めて「銀メダル」を獲得した、あの大会です。そして2度目のオリンピックでのメダルが、今回の山本
博が「銅メダル」を取った1984年ロサンゼルスオリンピックです。それ以来の2004年アテネオリンピックでの20年目のメダル獲得、28年ぶりの「銀メダル」獲得ということです。 |
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そしてこのどちらの大会も、スタンドから最後の一射を見届けました。どちらのメダルも今回のアテネ同様、素晴らしいシューティングであり試合でした。 |
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あの頃、日本はアーチェリーに沸き、全ア連は世界の頂点を目前にして絶頂期をおくったのです。各地のボーリング場はアーチェリー場を併設し、アーチェリーをするのに待ち時間ができるほどのブームでした。その中から多くの選手が、そして愛好家が生まれ、連盟もショップも業界も潤ったのです。そしてなによりも選手は「金メダル」を目前に夢を語り、努力したのです。 |
あれから20年。日本のアーチェリーの過ごしてきた現状は、ご存知のとおりです。 |
とはいえ、勝てば官軍なのです。オリンピック効果がどれほどのものか? |
同じように練習しているあなたでも、いつもその横を犬の散歩でとおるおじさんの見る目は変わっているのです。電車の中で持っているアローケースも、人は今までと違って見てくれているのです。とはいえ、それを計る物差しはありません。 |
過去2回のメダル時はインターネットもまだなく、成績は翌日の新聞か共同通信への確認しかありませんでした。朝刊を見ては一喜一憂、写真が載ればそれが世間へのアピールでした。ところが今回はどうでしょう。テレビよりも早く、インターネットでリアルタイムで成績も写真までも入手できるのです。では、そんな尺度でどれほど世間の目がアーチェリーに向いているかを見ると。。。。 |