ミスだから、どうなんだ?!

 アーチェリーを一生懸命やっている人に変わった人間が多い(はっきり言って変な奴ですが)。たまにマトモそうな人をレンジで見掛けると、たいがいは次から練習に来なくなって、いつのまにか一般人に戻っているということがよくあります。では、一般人ではない変わったアーチャーとはどんな人種なのでしょう。マッ、検索エンジンに [ archery ] と入力しては、ネットサーフィンを楽しんでいるあなたなら簡単に想像がつくでしょう。まず「協調性がない」。それだけならよいのですが、それに加えて「自己中心的である」。そして最後は「目立ちたがり屋」ときています。この三拍子がそろったらまず団体競技はできません。ひとことで言ってしまえば、いつも自分が中心に地球は回っていないと困るような連中がごく一般的なアーチャーであり、なぜかこんな奴らでないとアーチェリーは続かないときています。もう仕方がないので、あきらめるしかないのですが・・・。このような人種が弓を射つとなると、多くのアーチャーは自分の完璧なシューティング例えば練習におけるグッドシュートのような射ち方を試合でもできるなら、いつでも自分は優勝できると考えています。人によっては世界チャンピオンや世界記録ですら夢ではないと本気で信じ込んでいます。それはそれでアーチャーの素質としては決して悪いことではないのですが。たとえその夢が試合のたびに無残にも打ち砕かれたとしても、人に迷惑さえかけなければ、です。
 こんなメンタリティーを持った連中が、アーチェリーという自己と向き合わざるを得ない競技に長年浸っていると、多くの錯覚を生むのも事実です。例えば、雨の日の試合。雨は万人に平等に降っているにもかかわらず、なぜかアーチャーは自分の周囲1Mにだけ豪雨が集中しているような気になります。また、風が出てくれば出てきたで、自分の立ち順にだけ風が吹いているように勘違いします。それも波打つ強風が自分のエイミングを狙い撃って襲いかかるような錯覚を持ってしまいます。しかし、このような状況のほとんどは常識ある一般人の目から見れば、滑稽以外の何物でもありません。
 「ミス」についても同じことが言えます。誰ひとりあなたの射ち方など見てもいないのに、ミスをした時は会場のすべての人が一部始終を注目していたと思ってしまいます。しかし、このような一般人ではないアーチャーが考えている「ミス」とは、本当にアーチャーにとっての致命傷となるのでしょうか。
 4月になるとどの学校も新入生を迎えます。キャンパスでは勧誘活動が行われ、まったくの素人が初めて弓を持ち2〜3Mの距離から80cmの的に向かっての初体験が繰り広げられます。では、そんな初心者にとって射った矢が赤に当たるか青に当たるかで大差があるのだろうか? たしかに10点に当たれば喜びはひとしおではあろうが、実際には的に当たれば大当たりで、誰もミスについて語ることはしないはずです。なぜなら、初心者にとっては80cmの輪に入ることがこの距離における技術の達成目標だからです。
 では中級者はどうでしょう? 30Mで320点を目標とするレベルのアーチャーなら (320÷6回=53.3点) 6射平均53.3点で当面の目標は達成できます。54点を射つなら4点も記録更新ができてしまいます。今度はこれを1射平均に換算すると、毎回9点に入れれば大記録達成です。しかし、毎回矢を10点にも8点にも飛ばさず、9点にだけ的中させることはすべて10点に入れる以上の至難の技です。9点のリングの幅は4cm、10点の直径は倍の8cmもあるのです。狙って射つなら9点より10点の方が倍当て易いはずです。現に9−9−9−9−9−9を狙っても1本や2本は間違って10点に飛んでしまうのが現実です。10−9−9−9−9−9=55点となれば、実際にはこの9点のうちの1本が7点に行ったとしても、何ら大勢に影響はない。たとえ6点であったとしても、36射のトータルでは問題とならず320点を記録することができるでしょう。にもかかわらず、このレベルのアーチャーであっても試合になると10点がすべてであり、それ以外は「ミス」、そして6点でも射とうものなら命を取られたかのようなショックを受けてしまいます。しかし、これらはすべて自分の実力からすれば予想される範囲のバラツキであることを理解するべきです。ちょうど初心者が当たった外れたを楽しみに射つのと同じように、ミスとは考えず普通に同じように射ち続けるべきです。
 それでも6点はミスだ、と言い張るアーチャーがいます。ではそんな典型的なアーチャーに言わせてもらえば、「ミスだから、どうなんだ?!!」。アーチャーは自分の夢が気まぐれな風や黄色の信号、友人の会話、過去の想い出、未来の願望などで打ち砕かれるたびに「ミス」を持ち出して言い分けを準備します。しかし、たとえそれがミスだったとしても、ミスが好結果を生み出したことがあったでしょうか。クリッカーが鳴らなかった、リリースが取られた、押し手が動いた、緊張した・・・・・、そんな原因が分ったからといって何になるのでしょうか。
 このような反省と分析こそが必要だと説く人がいます。たしかに不要とは言いません。しかしそれが本当に必要なのは350点を超えるアーチャーであって、330点や340点をウロウロしているアーチャーならその原因を究明するよりも、ミスと思う1射までにやってきたことと同じことをその後も続ける努力の方が不可欠であり、好結果をもたらす手段にほかなりません。なぜならアーチェリーは初心者から上級者まで、一本でも多くの矢を的の真ん中に的中させるために努力するスポーツであり、アーチャーはリリースが3cm取られたら矢は7時の6点に飛んでいくといったことを研究し知る必要はないのです。いつでも、どんな時でもアーチャーがしなければならないことは、当てるためのポジティブな努力であり、外れた時を予想したネガティブな姿勢では決してないのです。
 例えば、試合で最後の3射を残して競り合いながらも優勝を目前にしている場面を想像してみてください。震えながらも一本目は10点に行った。そして二本目も何とか10点に行った。さあ、最後の一本あなたならどうする? 「よし、ガンバルぞ!!」「当ててやるぞ!!」もよし。「インターバルをゆっくりとって・・・」もよし。「8点でも勝てるだろう」もいいでしょう。しかし、どれもが初心者の発想です。なぜここまで良い結果がでて、10−10ときたのにあと一本、自分を信じて「同じように」射とうとしないのでしょう。同じようにの繰り返しの結果が、今ではなかったのですか。
 アーチェリーにタクティクスはない。あるのはテクニックと自分を信じる強い心だけです。だからミスをなくしたいなら、まずは練習、試合をとおして「ミスのことは考えない」。そしてもしミスをした時には「忘れてしまう」。どんな時でもうまくなるためには前向きの努力をすることこそが大切なのです。たとえトップアーチャーであってもグッドシュートばかりではないのです。日本記録の得点であっても、本当に良かったと思えるシュートは数えられるくらいの本数です。すべてがグッドシュートでないからこそ前向きに次の一本に対してチャレンジできるのを忘れないでください。
 そしてもうひとつ、過ちを恐れる必要はないが「同じ過ちを二度三度と繰り返すのは愚か」です。これも非常に大事なことです。特に中級あたりをさ迷い続けるアーチャーは忘れないことです。誰も最初からチャンピオンであったアーチャーはいません。みんな多くの失敗を繰り返しながらトップへと登りつめていくのです。失敗の数だけ強くなります。しかし、それができるのはミスを恐れ対策ばかりを練る神経質な人間ではなく、神経質ではあっても絶えず物事に前向きに取り組んでいく勇気を持った人間です。
Las Vegas Shoot ’80 最終回
優勝 ダレル・ペイス 準優勝 リック・マッキニー
 しかし凡人でも悲観することはありません。最近のアーチェリーにおいてミスはアーチャーの身体と心の問題だけではなくなってきたからです。それは弓具上の問題が加わったからです。記録の向上に伴って、弓具が高性能化しすぎたのです。もしかすると、当たらないのはあなたには何の責任もなく、その原因のすべては道具にあるのかもしれません。
 アーチェリーという競技は変わった連中がするだけのことはあって、その道具も変わっています。多分、あなたのアローケースも開けてみれば、そこに入っている弓も矢もストリングからすべての小物に至るまでそれらはオリンピックや世界選手権の代表選手が使っている物とほとんど同じではありませんか。こんな変わったスポーツがあるでしょうか。テニス、陸上、自転車、スキー・・・・、道具を使用する競技で初心者や中級者であってもオリンピックで使用するのと同じ物を使うスポーツはそんなにあるものではありません。なぜなら、それらを使いこなす技術力に圧倒的な差が歴然と存在するからです。それを無視すれば記録の向上が望めないばかりか、競技によっては危険すら及ぼすのです。あなたはオリンピック選手と同等の技術を持っているのですか?
 今、アーチェリー界で起こっていること。それはトップの記録こそ向上したものの、中級レベルにおいては向上どころか減退が一般化している事実です。確かに悪条件における最低点は上がり、全体の点数も平均化はしました。しかし、アルミアロー、ケブラーストリングで記録されていた点数をカーボンアローとポリエチレンストリングで何人が何点越えたというのでしょう。一昔前の弓具は今の最新弓具に比べアーチャーの技量を包み込めるだけの許容範囲の広さを備え持っていました。ところが最新の弓具は極限を求めるあまりに許容範囲が狭まり、ある限られた条件でしかその性能を発揮できなくなりました。人間が道具を使うのではなく、道具にアーチャーが使われてしまいます。アーチャーの誤差を容認できなくなった道具は、言い替えれば「ミスが出易い」、「出過ぎる」最新弓具ということになってしまいます。多分、50%以上のアーチャーは多くの金を出しオリンピック選手と同じ道具を手に入れ、わざわざ当たらない状況を創りだしているのです。そして多くの素質も技術もある若いアーチャーはその才能を的面に反映することなく消えていきました。今、まわりを見渡しても、なぜあれで当たらないの? と不思議に思うアーチャーが多くいるのもそのためです。自分の能力の範囲内で、狙ったところに矢が飛んでいかないことほど不幸な現実があるでしょうか。そしてそのことすら知らずに時間を費やすのはもっと大きな不幸です。

 もし「ミス」の原因を探す暇があるなら、今一度 使っている弓具を再点検してみてはいかがですか。そして多少の金銭的余裕があるなら、最新、高級に惑わされることなくひとつでも多くのテストを自分でやってみて、自分に合った道具を手にしてください。そしてミスをした矢をゴールドに運ぶ道具ではなく、技術に見合った納得のいく的中が得られる弓具で練習を始めてください。

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