スポーツは変わるものであり、また変えるものでもあるが、その多くはルールや技術の変化としてわれわれの前にあらわれる。この両者は、ルールが変われば技術が変わり、技術が変わればルールが変わるという関係にあるが、その原因や理由は多様であり、これをルールに限定してみるとおおよそ次のようなことが考えられる。
( 1
)競技が、より対等、平等、公正に行われるようにする
( 2
)競技の結果をより正確に測定、または判定できるようにする
( 3
)競技がより高度な水準で行われるようにする
( 4 )攻守のバランスが保たれるようにする
( 5 )危険を防止する
( 6
)審判の判定を迅速、正確、容易にし、またその権限を強める
( 7 )競技のスピードアップをはかる
( 8 )プレイヤーのモラルを高める
( 9
)技術や用・器具に関する科学的な研究成果を取り入れる
(10)組織や企業の収入増をはかる
(11)競技をオープン化する(プロとアマが一緒に試合できる)
(12)人種差別などを排除(あるいは強化)する
(13)スポーツ大国の優位性を保つ
(14)競技をおもしろくする
(15)スポーツの大衆化をはかる など
このような創出・変化の原因や理由の基底的条件としては次のようなものがあり、これらはルールのように表面にはあらわれないが、その特徴を形成する要因として重要な意味をもっている。
( 1 )風土的・歴史的条件や国民性、民族性
( 2 )技術革新(産業革命)や都市の発達
( 3
)余暇時間量やマスメディヤ、コマーシャリズムの発達
( 4 )国民の生活意識や教育の制度・内容等
( 5 )宗教、思想、イデオロギー等の特徴
これらが相互に関係し合い、また政治や経済の影響も受け、さらに国民や民族が自らの幸福をどのように追求、実現しようと考えているのかということも関係しながらスポーツのルールは生まれ、変化してきた。その全体的な傾向を一言でいえば、競技がより高い水準で行われるようにするという「方向」で変化し、われわれはそれをスポーツの「発展」と考え、結果も一応はそうであったといってよい。
ここで「一応は」と躊躇するのは旧著でも述べたことであるが、本当にそれ以前のランナーやジャンパーより速く走ったのか、高く跳んだのかということに疑問をもたざるをえないことがあるからである。たとえば1991年8月、東京国立競技場で行われた世界陸上選手権大会で、アメリカのカール・ルイス選手はたしかに9秒86(100m走)という世界新記録を樹立したが、これを可能にしたのはハイテク技術とルール変更であったといわれており、実際には不可能なことであるが、これらの新しく加わった条件を排除してもなお彼は新記録を樹立したであろうかという疑問を消すことができない。これと同じことは棒高跳のセルゲイ・ブブカ選手にも、また過去のジャンパーとは全く異質の背面跳という新しい技術で新記録を樹立したといわれているすべてのハイジャンパーにもいえる。
これらについては厳密に考察し、記述しなければならないが、ここではそれが目的ではないので省略するとして、これらのルールの不備が原因で新記録が生まれたといわれているということができる。陸上競技では施設・設備や用・器具の材質だけでなく、プレイヤーの技術にも厳格な規定がなく、そのためわれわれは全く異なる条件下や用具を使って行われた競技を、あたかも同じ条件やルールのもとで行われた競技であるかのように思わされており、その典型例が棒高跳と走高跳である。
(後略)
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