スタビライザー考 その1

 弓の道具の中で、スタビライザーが最も多様な組み合わせがあるのではないでしょうか? そして最も簡単に安くでいろいろなことができるのも、スタビライザーではないでしょうか。
 例えば弓や矢、その他の道具を試そうと思えば金銭的な負担は避けることができません。ところがスタビライザーは長さや重さを変えるだけで、多くのことが変化します。また、まったく同じ道具でも角度や位置を変えれば無限のセッティングがそこに存在し、自己主張も簡単にできます。十人十色のスタイルがあり、10人のアーチャーには10種類のセッティングが求められるのがスタビライザーなのです。

 近代アーチェリーにおけるスタビライザーの歴史の中で、その形体は3度大きく変化しました。
 1960年代に登場した棒状のロッドスタビライザーが現在のスタビライザーの原型です。グリップ部分に取り付ける「センタースタビライザー」と呼ばれる1本の棒と、60年代後半にHoyt社が発表した「ダブルロッド」と呼ばれる上下に取り付けた短い2本のスタビライザーとが世界を二分する状況が続く中で、最初の革命が起こったのが1972年ミュンヘンオリンピックでした。この52年ぶりにオリンピックに復活を遂げたアーチェリー競技において John Williams (USA) はゴールドメダルとともに、それまで主流であった木製のワンピースボウに変わって金属製のテイクダウンボウと新しいスタビライザーの形体で世界を変えてしまったのです。

 それがこの「トリプルロッド」と呼ばれる3本ロッドのスタビライザーです。この年からアーチェリーはハイテク素材、ハイテク技術の競い合いへと突入したのです。
 シングルとダブルがあれば、当然トリプルの発想があって当然だったのですが、そこに簡単に行きつかなかった理由は重さでした。例えば野球のバットを持って腕で水平に保持する時、グリップを握るか逆にバットの先を持つかで、同じ重さであっても腕に掛かる負荷はまったく異なります。弓が金属製になり、エクステンションが付き、スタビライザーの本数が増えることで、アーチャーの肩にそれまでとは比べものにならないくらいの慣性モーメントが圧しかかってきたのでした。(カーボン製のロッドが登場するのは1970年代後半です。) しかしちょっと余談ですが、Williams を含め世界チャンピオンと呼ばれる存在がいかに幸運だけでその地位を手に入れたのでないかということが分かるのがこの写真でしょう。1973年、彼がプロ転向の年の全米選手権です。

 美しさだけではなく、そこには圧倒的潜在パワーと能力があるのです。それが「世界チャンピオン」であり「ゴールドメダリスト」というものです。

 しかし、ここまでのスタビライザーのセッティングはすべて「平面」の中にありました。それが「立体」へと変化したのが、1975年インターラーケン世界選手権です。若干19歳の Darrell Pace (USA) はケブラーストリングとともにまったく新しい形体のスタビライザーで Williams の世界記録をいとも簡単に103点更新したのです。

 「V-Bar」「Y-Balancer」と呼ばれる左右に重りを配した形状は、この日から世界に広まりました。それまでのダクロン製のストリングに比べればまったく伸びないと言っても過言でないケブラー繊維と、1976年に登場するカーボンリムは的中精度向上の見返りとして弓に大きな振動とショックを残すことになります。ちょうどそれに対応するかのようにヤジロベーのように安定をもたらすこの形状は Pace の驚異的な記録と栄光によって一般のアーチャーに受け入れられました。
 しかし、このような弓具の発展の中にあってもルールは今だ、スタビライザーの本数を4本以内としていました。この本数制限が廃止されるのは1980年のことです。また、1970年代初頭までは、矢の長さより短くといった長さ制限も存在していました。
 では、この本数制限が廃止された後、何が起こったか? 1980年、全米選手権で Pace は初めてトリプルとVバーを組み合わせた「5本スタビライザー」を使用しました。しかし、それは彼にとって最初で最後であり、世界のアーチャーもそれを受け入れることはありませんでした。

 ゴールドメダリストも世界チャンピオンも潜在的なパワーや能力を有しながら、なおかつ合理性や余裕を持つことを忘れてはいないのです。同じ性能、同じ能力を持つ道具であるなら、軽く扱い易いものの方が有利に決まっています。

 スタビライザーの本数制限を解除するきっかけとなったのは、ヤマハの弓に標準装備された「ビルトインダンパー」と呼ばれるスタビライザーと後に「マッキニースタイル」と呼ばれるようになるこのスタビライザー形状の登場でした。これらの道具は本数の基準を曖昧にし、その結果ルールを改正にまで至らせたのです。

 Rick Mckinney (USA) が初の世界チャンピオンとなったのは1977年キャンベラ世界選手権です。それまでの彼は一度も世界の舞台で Pace に勝つことができませんでした。そんな Mckinney を勝利に導いたのはヤマハの弓と彼独自のスタビライザー形状でした。「それまで何をしても僕は Pace のコピーでしかなかった。だからコピーは本物を越えることはできなかった・・・。」と彼が振り返るように、この時 Mckinney は初めてアイデンティティーを確立したのです。
 それ以来、Pace VS Mckinney の競い合う時代が続き、記録は更に塗り替えられました。スタビライザーも「ペイススタイル」と「マッキニースタイル」に二分され、世界のアーチャーにとって左右に配したスタビライザーは不可欠の存在となったのです。しかし、1979年、ベルリン世界選手権で Pace が二度目の世界チャンピオンの称号を手に入れた時、彼はマッキニースタイルの弓を手にし、その後現在に至るまでスタビライザーの形状はその流れの延長と呪縛から逃れることはできていないのです。

 近年、韓国の選手を中心に使われるマッキニースタイルにアッパーロッドを取り付けた形状にしても、すでに1980年にマッキニー自身が使っています。

 結局、今使われているスタビライザーは、偉大な3人のチャンピオンが生み出した形状の無限の組み合わせのひとつにしかすぎないのです。あなたのスタビライザーも、今あるすべてのスタビライザーはこれらの亜流でしかないのです。
 しかし、忘れてはならないのは、どんなスタビライザーも道具であり、それも弓の付属品としてアーチャーを補助する道具でしかないという事実です。決して、スタビライザーだけで点数が保証されたり、同じ形状が同じ結果をもたらすものではありません。逆にアーチャーにとって必要なのは、この道具を使っていかに自分を主張し、自分だけのアーチェリーを確立できるかなのです。

 ちなみに、日本人が記録した唯一のトータル世界記録「1252点」は、1971年 中本新二(兵庫県)によって樹立されました。この時の弓具は木製ワンピースボウ36ポンドに1816のアルミ矢、そしてエクステンションもなく、たった6インチの2本のロッドスタビライザーだけです。

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