Chapter  8  Concentration (コンセントレーション)

 アーチェリーの一連の動作の中で最も「精神集中」を要求されるのは、やはりクリッカーを鳴らす瞬間です。このことについて、チャンピオンは表彰式の後、どのように答えているでしょうか。
 1978年第6回ジュネーブ世界フィールド選手権大会、ダレルはターゲット同様、2度目の世界大会出場でハンターラウンド490点 フィールドラウンド494点のハイスコアで優勝。ウィリアムスに次いで史上2人目のトリプルクラウン(オリンピック・世界選手権・世界フィールド選手権)を獲得しました。そして大会後インタヴューに答えて、「僕はただシュートしただけ。ターゲットでもフィールドでも僕は射つだけで、終った時には優勝しているだけさ。」と、この試合が自分のために開かれたかのような自信に満ちた発言をしています。このようにチャンピオンは事もなげに、そして試合の始まる前から自分の勝つことが決まっていたかのように話します。ダレルだけではありません。マッキニーをはじめ、すべてのチャンピオンが、「アンカーリングしたらクリッカーが自然に鳴って、自然にリリースが後ろに飛び、矢は10点に吸い込まれていって、射てば当たったよ!」的発言をします。このことは言葉を換えれば「動作の自動化」を意味します。

1978年、ジュネーブ世界フィールド選手権。

 動作の自動化とは動作を反復練習した結果において、大脳皮質内に堅牢な条件反射連絡が形成されたことであり、心理面からの意識的コントロールを必要とせずにその運動の遂行ができることです。意識が無意識を作り出し、自然に身体が動く状態と理解すればよいでしょう。このような状態に置かれた時アーチャーは、本来クリッカーの部分に置かれるべきコンセントレーションが不要となり、その意識努力を風をはじめとした外的状況の変化等への対応に向けることができます。だからこそ、チャンピオンは何らテクニックの存在しない、エイミングという部分でコンセントレーションを語るのです。
 ところが、このコンセントレーションをコーチングする時、「しっかり狙え」「ピンをよく見ろ」といったサイトピンとゴールドだけですべてが処理できるといった勘違いを生んでしまいます。しかし、これはチャンピオンのテクニックであることを忘れてはなりません。チャンピオンは、完璧なまでに動作の自動化を成し得ている人間です。シューティングラインを跨いだ瞬間から3本の矢を射ち終わるまで、何も考えなくとも無心で完璧なシュートができる人間だからこそ、エイミングでのコンセントレーションが許されているのです。
 多くのアーチャーはレベルアップの過程において、いくつもの間違いや錯覚を起こします。コンセントレーションをエイミングに置かなければならない、と思い込んでいることもそのひとつです。例えば今あなたが、現状より少しでもレベルアップ(うまくなる)するのに必要な要素を書き出してみてください。「リリースを取られない」「速くクリッカーを鳴らす」「ヘッドアップしない」「押し手を動かさずフォロースルーをとる」「バランス良く射つ」「他人のスコアを気にしない」・・・・・ それがひとつであっても、10を越えてもかまいません。それが2つ以上ある人は、次にそれらの中で自分にとってまず何が必要かという「優先順位」を付けていきます。この時多くのアーチャーはひとつの実行(達成)で100の成果を求めようとします。しかし、アーチェリーのレベルアップとはそういうものではありません。今よりほんの少しうまくなることの積み重ねです。順番が決まったテーマ(目標)に対し、コンセントレーションを行うのです。これは練習、試合の別なく行わなければなりません。
 コンセントレーションとは単に何かに集中すればいいのではなく、自分の「テーマに対する積極的意識」です。その意識は無意識を作り出し、結果として動作の自動化が達成されます。ひとつができれば次のテーマに意識を移す、これが練習でありレベルアップのステップです。10のことをすべて一度に解決するのは難しいことです。エイミングにコンセントレーションするチャンピオンは、このようにしてひとつひとつステップを登りながら、すべてを自動化して頂点にたどり着いたのです。そして、テクニックのないエイミングで心と身体のリラックスを維持しているのです。

 

 

1978年、ジュネーブ世界フィールド選手権。

「動作の自由化」こそが最終目標であり、それが獲得されるならアーチェリーにターゲット、フィールドの違いはない。(フィールド初制覇と同時に、史上2人目のトリプルクラウンに輝く。

リリースは犬の唾液のようなもの
 ここに高校1年の理科の教科書があります。この中にソ連の生理学者パブロフによって明らかにされた、「パブロフの犬」の有名な実験が載っています。
 『犬に餌を与えると反射的に唾液を分泌する。餌を与えるたびにベルの音を聞かせると、やがて犬はベルの音を聞いただけで唾液を分泌するようになる。これは餌と音の刺激とを同時に与えることによって、それぞれの刺激を感覚する大脳の中枢の間に興奮伝達の新しい経路ができたためと考えられる。』
 餌を食べることによって唾液が分泌されたり、犬がベルの音に耳をそば立てるような生得的な反射を「無条件反射」といい、これらの反射に対しそれとは無関係な条件刺激を繰り返させることで、本来の刺激がなくとも条件刺激だけで反射を起こすようになることを「条件反射」といいます。
 ここまでくるとお分かりでしょうが、我々が一生懸命練習し、悩んでいることも条件反射なのです。つまり、クリッカーの音が条件刺激であり、それを何度も繰り返す(条件付け)ことで、 音=矢を放す(リリース)という条件反射が成立しているわけです。そう考えると、練習、試合を通して隣の人のクリッカーでリリースしてしまうことは何ら間違った行為ではなく、当然の動作であり仕方のない行為であることが理解できます。それが嫌なら隣のアーチャーとのインターバルをずらすか、より磨き抜かれた条件反射として、自分のクリッカーの音を聞き分け反応するようになればいいのです。
 しかし、このように条件反射として形成され自動化した動作であっても、新たな刺激が加わることによってその協調性が崩れ、反応速度が低下します。考えられる最も大きな原因は、「精神的圧迫」(プレッシャー)です。「外してはならない」「絶対に10点に入れなければならない」といった過度のプレッシャーは、自動化された流れやリズムを狂わせ、動きさえも停止させることがあります。そしてこのようなことが何度も繰り返されると、今度はこの望まない動作が新たな条件反射として、従来の条件反射を破壊し成立してしまいます。このことだけはアーチャーとして、絶対に阻止しなければなりません。
 「リリースが取られる」「クリッカーが鳴らない」と、不平不満と言い訳を言いながら練習しているアーチャーをよく見掛けます。そんな彼らの練習とは一体何を目的にしているのでしょうか。1日何時間も何100射の練習は、何のためなのでしょう。それは単に、弾かれるリリースであり、クリッカーが鳴ると同時に引き戻しをすることを条件反射として身体に覚え込ませているにすぎません。ヘタになる練習をいくらしても、ヘタにしかならないのです。そして残念なことに、多くのアーチャーはそれを繰り返しています。うまくなりたければ、うまくなるための練習を始めなければなりません。
 リリースもクリッカーを鳴らす動作も、人間が持って生れた能力ではありません。だからこそ最初はぎこちなく、バランスやタイミングが合わなくても、そしてゴールドに飛ばなくても、意識して理想に向かって練習を始めるのです。その意識が動作の自動化を生み、結果的に無意識に矢を10点に運んでくれる第一歩となります。

1980年、パーマストーンノース世界フィールド選手権。ダレルでもコンセントレーションがうまくいかないと、こんなシューティングを見せることがある。しかし、そんな時でもアゴ(アンカーポイント)は動かず、矢を支える2点は広がっている。(この大会10位を最後に、世界フィールド世界選手権からは遠ざかっている。)

クリッカーを鳴らす方法は3つしかない
 クリッカーを鳴らす、あるいは鳴る瞬間の重要性はどのアーチャーも十分すぎるほどに知っています。だからこそ失敗した時の原因と言い訳をここに求めます。
 しかし、クリッカーを鳴らすことがそんなにも難しいことでしょうか。実はクリッカーを鳴らす方法は3つしかないのです。@押し手で(肩から)押す A引き手で(ロープを張り)引く Bその両方を(身体の軸を中心として)同時にする このどれかしかないのです。

1980年、パーマストーンノース世界フィールド選手権。すべての動作は「意識」からはじまり、「無意識」が作り出される。だからアーチャーは、うまくなるなるための練習をはじめなければならない。ヘタになる練習をいくらしても、ヘタにしかならない。

 ダレルに限らず、トップと呼ばれるアーチャーを見る時、クリッカーをどこで鳴らしているかを確認できるでしょうか。それは難しいはずです。なぜならその動作は数ミリの世界だからです。たったそれだけを伸びるために目に見えるような動きがあって良い的中が得られるはずもなければ、必要もありません。ただし、そんな小さな動きの中でも、やっていることはこの3つのうちのどれかです。
 エイミングをしながら、クリッカーが鳴らなくなった場合を考えてみてください。その時、「エイミングしなくてもいい」「引き戻してもいい」と自分が思えば、簡単にクリッカーを鳴らせることに気付くはずです。こういうと、それはクリッカーを鳴らす動作だけであって、リリースするためにクリッカーを鳴らしているのではないと反論する人がいるかもしれません。しかしシュートしようが、引き戻そうがクリッカーを鳴らす動作には変わりないのです。ただアーチャーの頭の中に「うまく射てない?!」といった、疑問と不安が先立つかどうかにすぎません。
 世界チャンピオンになるような人間は、何が違うのかと考えてみると、そこには動作の自動化や精神力をはじめとした、いくつかの要素は存在します。しかし、それだけではありません。例えば、ダレルを見ていて強く感じる要素に、「自分をコントロールする能力が非常に高い」ということがあります。それは身体、精神両面において言えることです。
 うまく射てなくなった時、分かってはいても「何か」にトライするのは簡単ではありません。
 まして、それが試合の場面であれば「勇気」のいることです。人間的なチャンピオン、マッキニーを例にとると、彼の調子を一目で見分ける方法があります。マッキニーは調子が悪ければ悪いほど、そのスタンスをオープンにするのです。普通でさえ45度を大きく越えるオープンスタンスがもっと開いていき、最悪の状態の時にはつま先を結んだ線がシューティングラインと平行にまでなります。これは彼がシューティング(クリッカーを鳴らしリリースする)の手掛かりをバックテンションに求めている証拠であり、オープンをきつく極端にすることで背中の緊張(痛さ)をより感じ易くしているのです。マッキニーはコンセントレーションを背中にすることで、手首のリラックスを確保しながら、クリッカーを鳴らしリリースするのです。
 そしてもうひとつ、彼の調子を見るのにスタンスの広さ(歩幅)があります。オープンのきつさに加えて、調子の悪い時ほどスタンスの歩幅を狭くします。これも最悪の時は、両足のかかとが付くくらいにまで狭くするのです。それによって彼は、バックテンション(身体面での主観的事実)をイメージ(精神面での主観的事実)から援護し、スムーズなシューティングを獲得しようとしているのです。
 普段立っているスタンスより、ほんの少し歩幅を狭くしてシューティングをしてみてください。すると身体は多少不安定になっても、矢筋方向への流れが増し、伸び易くクリッカーを鳴らし易くなることに気付きます。では、逆に少し広くするとどうでしょう。今度は安定感のあるどっしりしたフルドローが得られ、エイミング自体に安定感が増すのに対し、ドローイングの流れのイメージを維持し難くなります。これはエイミングのところで話した、ストリングの左右どちらから狙うのかに共通する感覚(イメージ)ですが、試合というシューティングの美しさではなく、得点という結果のみが判断される場面においては、たとえ基本を逸脱しても的中確保を貪欲に追及することを求められることもあるわけです。 マッキニーに限らず、多くのチャンピオンが試合でうまく射てなくなったり、クリッカーが鳴らなくなれば、エイミング以外の部分にコンセントレーションを移すし、なりふり構わずにイメージも駆使するのです。しかし、ダレルはマッキニーのような一目で分かるような人間的なテクニックは見せてくれません。あくまで外見は冷静に、無表情にマシンのようなシューティングを続けます。
 

 

マッキニーの好不調は、そのスタンスに現れる。この2つのメジャートーナメントは、彼にとってもっとも苦戦を強いられた試合であった。

 (左)1984年、ロサンゼルスオリンピック。(2位)

 (右)1985年、ソウル世界選手権。(優勝)

ダレルの赤い靴下
 ダレルの唯一人間的なことといえば、やはり赤い靴下でしょう。あれはいつのベガスシュートだったか覚えていないのですが、試合当日、トロピカーナのインドア会場に現れたダレルがいつもの赤い靴下を履いていませんでした。前にも後にも、彼が赤い靴下を履かずに試合に臨むのを僕はこの時初めて目撃しました。当然その理由を聞いてみたのですが、彼は一言「忘れたよ」と答えただけでした。そしてこの日ダレルは敗北し、次の試合ではまたいつものように赤い靴下を履いていました。
 メンタルコントロールというと、すごく難しいテクニックのように捕らえがちです。しかしそれは自分自身を励まし、高め、そして落ち着かせる「心の支え」にすぎません。日本的な縁起を担ぐというような行為も、これに含まれます。ダレルが試合でいつも赤い靴下を履いているのは、それが「心のリラックス」を獲得する手段にほかならないからです。

 

 

 

1979年、全米選手権(90m)。チャンピオンと初心者の違いは、プレッシャーの有無や大小ではなく、それを乗り越えようとする努力とその能力の違いである。

 これに関連して「アイデンティティ」という言葉があります。日本語では自己同一性や主体性と訳されていますが、これもチャンピオンにはなくてはならない要素です。例えば、ダレルとマッキニーは時代を共にするチャンピオンですが、彼らはみごとに同じ弓具は使いません。マッキニーが初めて世界チャンピオンになったのは1977年キャンベラ、それまで世界はダレル一人のものでした。いくらマッキニーが望み、努力してもダレルは不動でした。それがやっとのことでダレルを破りチャンピオンとなったのです。この時を振り返ってマッキニーは、「それまで自分はいつも2番であり1番はダレルだった。何をしても自分はダレルのコピーでしかなかった。」と、この試合前にダレルと違うメーカーの弓に変えた意味と初勝利の理由を話しています。ここからマッキニーの時代は始まり、ダレルの独走はストップしたのです。この時からダレルはマッキニーを単なるライバルではなく、学ぶ対象としても考えるようになりました。
 ダレルのシューティングフォームに初めて目に見える変化が現れたのが、翌年の1978年です。それまでずっと愛用してきたX7−2014をXX75−2114に変えるのに合わせて、シャフトを1インチ近く長くしました。それによって、それまでの引き手の少し甘いフルドローからマッキニーのような、矢筋を完全に通したフルドローに変えたのです。そして1979年のベルリン世界選手権では、最終日30m最終回までもつれ込んだデッドヒートの末、ダレルはマッキニーから前回2点差で失ったシルバーのトロフィーを奪還したのです。この時、ダレルは1975年以来使い慣れた彼のオリジナルとも呼べるスタイルのVバーを外し、マッキニースタイルと呼ばれるスタビライザーを初めて使っていたのです。
 1983年以降、ダレルはずっとブルーの色をハンドルカラーとして使っています。マッキニーは一貫して、オレンジ色の弓を使います。これらの色がどう的中に結び付くかというと、それは単に彼らの好きな色という以外に意味はありません。本人にとっては、嫌な物を使ってシューティングを行うほど不快なことはありません。しかし周りから見た場合、今ではそのハンドルカラーを見ただけで、彼らのシューティングが頭に浮かぶほどに、存在感は大きいものです。
 以前、ダレルのデヴュー当時から1977年まで、アメリカチームはオフィシャルユニフォームとして星条旗をデザインしたものを採用していました。チームがその着用を義務付けるのは国際試合に限っているのですが、ダレルだけはアメリカ国内におけるローカル試合においてもよくそれを着てシュートしています。それはダレルにとって義務感でも責任感でも強制でも、ましてや愛国心でもなく、単なる自己表現のひとつの手段であり、自分がアメリカを象徴する証しであるという、彼自身の自己主張にほかなりません。

 

 

1979年、全米選手権(50m)。ダレルは、普通のアーチャーがしないようなことを積極的にする。スコアボードを見たり、相手の的中を確認するような行動もそうである。ダレルにとって、自分へのプレッシャーはグッドシューティングへの原動力となる。(この年、マッキニーの2度目の優勝を許し、2位に終わる。)

 世界選手権でダレルやマッキニーと話すと、彼らは一様に「もし自分がここにくるために金銭的な個人負担を要求されるなら、多分参加しないだろう。」といいます。その発言の裏には、「アメリカが必要とするから参加するのであり、当然すべての負担は国がするべきである。自分は弓を射つだけだ。自分はアメリカの代表であり、アメリカそのものだ。」という論理です。
 チャンピオンにおけるアイデンティティとは、単なる自己顕示だけではなく、すべてにおける他との「差別化」であり、確固とした「オリジナリティの確立」です。それは自己のメンタルコントロールに加えて、周りへのプレッシャーをも意味します。そこに立つだけでチャンピオンの空間が生まれ、チャンピオンの世界が創られます。それはチャンピオンという肩書きに対し付加されるものではなく、チャンピオンとなる以前から彼ら自身が造り出し、守り育ててきたものにほかなりません。
1985年、ソウル世界選手権(50m)。

   1975年 インターラーケン  優勝
   1977年 キャンベラ      4位
   1979年 ベルリン       優勝
   1981年 プンターラ      2位
   1983年 ロサンゼルス    2位
   と続いてきた世界選手権栄光の記録も、この大会8位と初めて入賞を逸した。

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