先達の身体も添えて・・・

 実はヤマハの表4広告で、もうひとつ好きなものがあります。このシリーズのコピーは考えましたぁ。

月刊 アーチェリー 1981(昭和56)年 12月号

 
  ■ John C. Williams (USA)
     1971年 ヨーク世界選手権 優勝
     1972年 ミュンヘンオリンピック 優勝
     1972年パッサリアントフィールド世界選手権 優勝
 史上、トリプルクラウンを制したのは彼とダレル・ペイスの二人だけです。そんなジョン・ウィリアムスが3度目の世界選手権を前に1973年、突然AMFとプロ契約を交わします。今ではボウリングの世界で有名なAMFですが、当時はWing Archeryを傘下に収め展開していました。
 HOYTがEASTONに買収される前の平和な時代、知る限りHOYTは決してプロを雇いませんでした。エール・ホイットとアン・ウェーバーの情熱と愛情、そして彼らの作る弓の素晴らしさに、多くのアーチャーは心酔したのです。金で選手が動く時代ではありませんでした。
 アマチュアの世界ですべてを手に入れた彼にとって、新しく求めるものがあったのでしょう。しかし、CompetitionUや彼の名前を冠したモデルが出たものの、AMFがそれ以上の情熱をアーチェリーの世界に注ぐことはありませんでした。
 そんな彼を1981年、ヤマハは雇い入れます。アメリカでのプロモーションと製品開発が主な目的です。その6月初来日した際、この撮影を「つま恋」で行いました。場所は今はカート場になっている元々のアーチェリーレンジです。
 彼とは1976年の全米選手権以来の友だちですが、この時も実は秘密裏にヤマハが進めていたカーボンアローのテストを浜松で一緒にした後の練習でした。
 それにしても美しい。今見ても、美しい。
 
       □ 1981(昭和56)年 10月号     □ 1981(昭和56)年 11月号
       □ 1982(昭和57)年  1月号

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