私のコンパウンドボウ

 私が本気でコンパウンドボウを射ちたいと感じたのは、’79年ラスベガスシュートに参加して以来である。しかし、実際に射つとなると、なかなか機会がない。そのうち一年が過ぎてしまった。今年、再度ラスベガスでコンパウンドを見た時、私の心の中にひとつの固まりつつあった。「今年こそ、ひとつの区切りがつけば、絶対コンパウンドを始めよう」。そして、やっと先日、つま恋記念大会と報知杯ULA大会でそれが実現した。
コンパウンドはリカーブより上位に位置する
 ’79年までまったく無関心であったコンパウンドボウを、なぜ急にやりたいと思うようになったのか−−−。やはりラスベガスシュートで、それに対する認識が一変したためである。それまではコンパウンドボウはリカーブボウの延長線上にあり、少なくとも国内においてはリカーブでコンパウンドに負けるとは思っていなかった。また、実際に勝ち続けてきたという自信もあった。ところが、ラスベガスではコンパウンドとリカーブがまったく異なった世界に存在している。しかもリカーブがコンパウンドから学ぶことがあっても、コンパウンドがリカーブから学ぶことはないことをまざまざと見せつけられた気がする。それは違う世界にありながら、コンパウンドの方がリカーブより上位に位置するということであり、リカーブアーチャーとしては見逃せない事実であった。
 そのようなわけで、今回コンパウンドアーチャーとしての第一歩を踏み出したのだが、実際に射ってみると「予想以上に難しい」というのが実感である。技術的にはシュートの時、そのショックのため目を閉じてしまう、膝が曲がる、など思うように射てない。弓具面ではまったく無知といってよいほど。ピープサイトの付け方ひとつ、あるいはセンターショットのだし方ひとつ分らなかった。あり合わせの道具を使っていると言ってしまえばそれまでだが、つま恋では思わぬヘマもやってしまった。現在私の手持ちの矢の中で一番柔らかい2014を使ったところ、ふた回りは硬いと言われるくらい、スパインが狂っていたのである。もちろん報知杯では一応矢くらいは合わせようと1816を準備しての参加だったが・・・・。
 しかし、そんな低次元での試行錯誤の中でも面白い発見はいくつもある。ひとつの例がリリーサー(リリースエイド)だ。リリーサーはある意味ではリカーブアーチャーの目指す理想のリリースの形を示すものだが、理想の形であっても引き手の位置やその方向など、ちょっとしたことで的中にバラツキが生じてしまう。つまりそれは「フック部分だけが理想であってもパーフェクトは得られない」というリカーブアーチャーの安易な考えへの警告である。このように述べてくると、私がリカーブアーチャーに対し「その技術向上のために一度くらいはコンパウンドの取り組んでみてはいかがですか?」と取られるかもしれないが、そうではない。
 たしかに、現在の国内アーチャーの比率からいって、これはひとつのアドバイスかもしれない。しかし、近い将来コンパウンドは日本国内においてその市民権を単独で確立するだろうし、その地位が現在のリカーブを凌いでくれるだろうと確信し、また期待している。その時には前にも述べたような、リカーブ/コンパウンドという話ではなく、コンパウンドのオーソリティーが数多く生まれ、彼らがその歴史を築いてくれるにちがいない。ただ、現在国内においてコンパウンドがそのような過渡期にあるがゆえに、私などが試合でお茶を濁すことが許されているにすぎないのだ。
コンパウンドは20年で頂点を極めてしまった
 それでは本場アメリカではどうか? 今年のラスベガスで強く感じたのが、コンパウンドがひとつの壁にぶつかったと思える。そしてその壁とは、「パーフェクト」。当たりすぎる弓になってしまったのである。それは良いことである反面、一般から見れば興味の半減する出来事でもあるわけだ。
 ご存知のように道具面でのコンパウンドの発展は目をみはるものがある。毎年新タイプのボウが発表され、今後もより高性能のものが出てくるだろう。しかし、現在のルールの中では、すでにパーフェクトを記録するには充分な道具となってしまった。’77年、テリー・ラグスデール(USA)が初のパーフェクト優勝を飾り、それから彼の時代はスタートしたが、今年はすでに彼を超えるアーチャーが数多く生まれてきたのだ。スコアこそパーフェクトではなかったが、聞くところによればアメリカ国内の他の多くの大会においてはすでにたくさんのアーチャーによりパーフェクトがマークされているという。それ自体が特に注目すべきことでなくなっているのだ。
 考えてみれば、アメリカの歴史(NAA)は去年創立100年を迎えた。一方、コンパウンドは発表されてまだ20年そこそこの歴史しか持っていない。ライフル射撃においてパーフェクトが出過ぎるといった状況が起こった時、協会ではターゲットを小さくすることだその問題を解決した。そのことから考えれば、今回の「壁」など当然彼らにとって予想していたことであろう。それをターゲットサイズの変更で解消するか、距離の延長あるいはリリーサーに対する制約強化、その他どのような手段で解消するかは我々の想像ではおよびもしないが、何らかの手段によってより一層の発展へと進んでいくことに違いない。
コンパウンドで自己新記録に挑戦したい
 ここでもう一度、私のコンパウンド観に話を戻し本音を言わせてもらうことにする。ここまで述べてきたことに対する興味とはまったく別に、実際射つようになってからは「楽しい」というのが実感であり本心である。今の私のコンパウンドには「当たった、外れた」の面白さがある。それはちょうど私が10数年前にリカーブボウを始めた頃に持っていた感情と同じものだ。言い換えれば私にとって、趣味のアーチェリーとしてのコンパウンドがあるわけである。ここまで言うと現在のコンパウンドアーチャーの方々に対し、大変失礼で申し訳なく思うが、それが実際の偽わざる気持ちなのでお許しいただきたい。
 しかし、やる以上は練習量の多少、やる気の有無に関わらず、目標だけは高く持ちたいと考える。当然、それはパーフェクトであるわけだが、とりあえずはその前にリカーブで私の出した記録を努力せずにコンパウンドで破りたいと考えている。25Mは ’77年ジャパンインドアの294点、18Mは今年のラスベガスシュートの295点、そしてフィールドは ’78の全日本選手権で記録した494点を目標にしている。そしてもちろん、コンパウンドならそれが充分可能だと考えている。
 ここでもう一度はっきり言っておきたいことは、コンパウンドとリカーブはまったく異なる世界に属するということだ。勝ち負けの次元はともかく、それらを両立させることは可能である。だが、リカーブのノウハウや感覚をコンパウンドに持ち込むことは、技術向上のうえで大変危険なことかもしれない。前述のとおり、リカーブから学ぶコンパウンドはないからである。そのようなわけで、これからコンパウンドボウをはじめられる方もその点に注意してもらいたい。そして今後多くの皆さんがコンパウンドボウを考え、シュートし、より大きな集まりになることを心から期待したい。
雑誌「アーチェリー」1980年8月号特別寄稿「我が国でもいずれは市民権を獲得するだろうコンパウンドはリカーブとまったく違う世界で生きている」

 20年前にコンパウンドを本気でやったこともあります。世界の頂点に立ちたいために、そして多くのことを学ばせてもらいました。今読み返しても言っていることは間違っていなかったと思います。いかがですか。

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