イメージシューティング

雑誌アーチェリー 1985年9月号・11月号 対談
 
ガムシャラに射つ時代は終わり、すでにイメージの時代に入っている。
 
編集部: 先日、現在の日本のトップの話になった時、亀井さんは盛んにイメージというものを強調していた。つまり、現在の彼らに欠けているのはそのイメージではないか、と。
亀井: 僕がこんなことを言える立場かどうか分からないけど、今の日本のレベルは昔に比べて決して高いとは思えない。松下のガンバリは認めても、山本の状況を見れば我々が5〜7年前に射っていた1260〜70、あるいは出たとしても1280〜90点くらいで止まっている。確かに1300点に入ったとしても、世界は1340〜50、意識では1370〜80ぐらいになっている。その意味で、日本のレベルが世界のレベルと一緒に伸びてきたか、というと決してそうじゃない。
編集部: 確かに、それは否定し得ない。客観的な数字で見れば、世界との差が縮まっていないんだから。ただ、それが日本選手にイメージが欠けているということは直接結び付かないように思えるんだけど。
亀井: 弓を始めたばかりの頃、僕もただガムシャラにやっていた部分もあって、日本人らしく根性だとか忍耐だとか、そういう部分だけで自分を支えていたから、イメージは必要なかった。考えなくても、それだけの練習で自然に身体が動く。そう頭が働いていた。その意味では、そういった練習方法は誤りじゃないんだけど、それ以上となるとどうしても限界が見えてしまう。
編集部: それは分かる。アーチャーなら、ガムシャラに的に向かう時期があっていい。無我夢中に弓を射つ時があっていい。その方が良い結果に結び付く可能性もある。ただ、完全でない人間が、一旦そのどこかに狂いをきたすとそういった練習方法ではなかなか立ち直れないんじゃないか、ということが問題。だから、自分に一番適した射ち方というものを頭の中にしっかりと叩き込んでおく必要がある。
亀井: そういった時に無限の力を与えてくれるのがイメージであって、皮肉なことにイメージよりガムシャラに射つことに重要性を見出してきた日本が、今は昔ほどに練習しなくなったことだけは間違いない。そこは素直に認めなくっちゃいけない。そのことを踏まえたうえで話したいんだけど、去年の川上杯で韓国チームが来た時、彼らのシューティングを見てふと思ったのは、10数年前に我々がやっていたこととまったく同じことをやっている。試合では射たなかったけど、特に徐 香順や金 珍浩を見ていて、それを強く感じた。
編集部: 例えば?
亀井: 例えば極端な話、練習が始まる前、あるいは終わってから輪になって声を掛けながら体操をする。それから円陣を組んでコーチが何かアドバイスする。これは僕らが以前やっていたことと何も変わってはいない。これは一例だけど、他のことでもほとんど同じ。それなのに韓国だけがあそこまで強くなったか。そこが大事でしょ。もちろん金の問題もある、国家政策の違いで。でも、それ以上に大きな違いだと思えるのは、彼らが朝起きてイメージトレーニングをやる、あるいは練習に入る前にイメージを重視したトレーニングを行う。我々もそういったことをやった時期もあったし、ミラーシューティングもやっていたんだけど今冷静に考えると義務的に考えて、本質の部分ではおろそかにしていたんじゃないかと、また他の国のアーチャーが積極的に取り入れてきた部分というのはそこになるんじゃないか、と。
 
身体を動かすのは心であり、身体が自発的に動かすわけではない。
 
編集部: 他の国というと、これまで日本が意識的に、あるいは無意識に目標にしてきたアメリカもその中に入る?
亀井: マッキニーやペイスなんか、特にそう。付き合えばわかることだけれど、本当に彼らはあまり練習しない。週に2日や3日、しかもそれも一日30分とか1時間。つまり彼らは自分たちの強化部分を体力面だけじゃなく、それ以上に精神面、メンタルな部分に置いている。
編集部: そういえば、大事な試合の公開練習でも彼らはあまり矢数を射たない。
亀井: 大体10数本しか射たない。的中とか点数とか、身体の動きというもの以前に、もっと精神的な部分が必要であり重視しているんだ、ということ。
編集部: ただ彼らの場合には、イメージすべき姿というものをはっきりと持っている。ミラーシューティングがイメージを使ったシューティングには最も効果的だといっても、アーチャーが素晴らしいと思っているフォームであっても、客観的に見ればメチャクチャなフォームかもしれない。基本となる理想のフォームがあって初めてミラーシューティングも生きてくる。オジンくさい言い方をすれば、今のアーチャーにはその辺が欠けているんじゃないかと。実はさっき学生の東西対抗を見てきて、そう感じたんだけど。自分で目指そうとするスタイルもない、自分の身体で覚えた射型と頭の中にある射型とが一致しない。
亀井: それはあるかもしれない。まず認識しなければならないことは、身体を動かすのは何かということ。つまり、それは心が動かすのであって、身体そのものであることはほとんどない。身体が自発的に動いて事を成し遂げるということは、よっぽどのことがない限りできることではない。異常な練習量で初めてできる。が、そうだとしても、やはり心から始まるということは理解しないといけない。もっと分かり易く言えば、我々がフォームを崩す、点数が下がるというのは、すべて心に起因している。昨日まで330〜340点も出ていた人が突然300点以下になるというのは身体ではなく、心に他ならない。
編集部: 昔なら十字射型にできるだけ近づけようと努力したのに、今はもちろん十字射型というものは残されているけれどその陰が薄くなって、自分の身体に合わせない、と。これは雑誌にも問題はある、「基本にとらわれるな」。基本は基本であって、それ以上の何ものでもない。自分に合ったシューティングを心掛けるべきだ、ということは何度も繰り返して言ってきたから。もちろん、それが間違いだったとは今も思ってはいない。ところが、その結果として現れたのは、自己の確立ではなく目的意識の欠落ではなかったか、と。
亀井: 韓国で金 珍浩にしても誰にしても、昔我々が言っていた正十字が今蘇っている、ということを誰もが認めなくてはならない。正十字というと、とても誤解を受け易いんだけれど、韓国の選手は少なくともペイスやマッキニーの延長線上にはない。そう遠くない将来、彼ら二人を超えるアーチャーが必ず出てくる。そのアーチャーはペイスやマッキニーの延長線上にあるとは限らないということが、韓国の選手のシューティングに何となく見えてくる。
編集部: つまり、例え正十字であっても韓国の選手は彼らなりの形を持っている、と。
 
練習でも、ウエイティングライン上でもイメージが必要だ。
 
亀井: 当然だね。それに僕は講習会でいつも聞くんだけど、「公開練習の時、絶好調と仮定して。次の日、その調子を維持できますか?」と。すると99%の人間が「どうなるか分からない」と答える。じゃ、みんなのやっている練習は一体何なんだろう、と疑問に思っちゃう。
編集部: それは以前から言われていた。学生の練習は、あまりにも漠然としすぎているんじゃないかと。
亀井: 当てたい、勝ちたい、強くなりたいと思うのは、確かに大切なことではあるんだけど、それはある意味では当たり前であって、アーチャーの目的というより、弓を射つためのエネルギー、原動力。その情熱を支えにして、当てるためにはどうすればいいのか、勝つためにはどうすればいいのか、勝つためにはどうすればいいのか、それを考えてするのが練習。試合までに300本射ちました、ガンバリました、走りました、ということだけで勝てるか、というとそんなことはない。試合で実力を発揮できる能力を身に付けなくては、練習とは言えない。
編集部: 具体的に言って、必要なものは?
亀井: 少なくともシューティングラインをまたぐ前に、今から自分が射とうとする形を頭に浮かべてみる必要がある。みんなウエイティングラインで次に射つまで、シューティングラインで射っている人をよく見ていると思うけど、自分が射つ番になってシューティングラインに立った時には、もう的に当てることしか考えていない。僕は調子のいい時なら、ウエイティングラインからシューティングライン上の自分の姿を想像できるし、頭の中に自然に浮かんでくる。レベルが高いといえばそれまでだけど、そういうことが必要なんじゃないかな。
編集部: やはり難しいことには違いがない。じゃ、自分のフォームを一歩下がった位置から見えるようになるためには、どうしたらいい・・・・。
亀井: さっき言ったように、自分の理想とする選手、自分の理想とするフォームを頭の中で繰り返し描いて、自分のフォームとラップすることによって可能になる。
編集部: そうすれば、現在の自分の悪い所も分かる?
亀井: 分かる。ヒジが甘くなってきた、指が緩んできた、と感じるよ。
 
イメージはポイントとポイントの間の空間を埋める。
 
編集部: 例えば、リリースなら「首筋に沿わせて」というのがある。これもイメージのひとつになるのかな。
亀井: リリースを例にとって言うなら、リリースの前にはフルドローという状態があって、その前にはアンカーリングがある。フルドローとは「今クリッカーが切れたら、射てる」という状態のことだよね。その後にリリースがあり、リリースの後にフォロースルーがある。じゃ、アンカーリング、フルドロー、リリース、フォロースルーというのは何なのか、と言うと射型を教える場合のポイントであり、我々アーチャーにとっては射つ場合のチェックポイントになっている。アンカーリングなら、「ストリングは鼻と唇とアゴに付けましょう」だし、フォロースルーなら「射った後は、真っ直ぐ矢の延長線をなぞって、耳の下までヒジを張って飛ばしましょう」と。初心者にはこのポイントを理解してもらえばいい。
編集部: 初心者に限らず、アーチャーなら誰でも持たなくてはならないチェックポイントだと。
亀井: そう。ただし中級者以上、またはトップを目指す人間であれば、さらに考えなければならないことがある。それらのチェックポイントとチェックポイントの間にある空間。その空間の中にあるモノを感じ取らなくっちゃ、はっきり言って何にもならない。もっと分かり易く言えば、フルドローからリリース、そしてフォロースルーの流れの中で「人差し指は矢の延長線をなぞって耳の下」とは言うけれど、そこにはスピードがある、タイミングがある、バランスがある、通る位置がある、そして迫力がある。いろんな要素がポイントとポイントの間の空間を埋めているんだ。そしてその空間を埋めるために必要になるのが、イメージなんだ。リリースのスピードは秒速何メートルでしなさい、と言われてもできるもんじゃない。そんなこと計ったからといって、できるもんじゃない。クリッカーが鳴ったと同時にリリースする。そのタイミングを計るものはイメージ以外の何ものでもない。
編集部: 個々のチェックポイントは必要。でも、シューティングの流れのためには、それをつなぐものはもっと重要になる。その役割を果たすのがイメージだ、と。
亀井: だからチェックポイントを学ぶのは初心者であり、それはそれでとっても必要なんだけど、そこからうまくなるためには、ひとつひとつの空間を自分のイメージで埋めていく、あるいはトップから学んだイメージで埋めていかなければならない。そこには基本以上の多くの要素が含まれていて、それこそが重要なポイントになると思う。
編集部: 結局、亀井 孝の理想の選手は誰だったのだろう。ペイス? マッキニー?
亀井: うん、やはりペイスはうまいね。マッキニーはペイスほどうまいとは思わないけど、学ぶべきところは多いし。でも、彼らが理想かどうかというのとは別だね。
 
意識を矢と一緒に飛ばすから、後に何も残らない。
 
亀井: 教わった射ち方をいかに自分のものにできるか、そこが問題だね。初めはコピーから入っても、最後は自分で作っていく。
編集部: コピーから入ったアーチャーでも、矢の数を増やしていけば自分自身の射型というものは自然に見えてくるものだろうか。
亀井: 見えてくるね。ただ、見ようとする努力はしなくちゃいけない。シューティングラインに意識を置く。ほとんどの人が意識を矢と一緒に飛ばしちゃうから、後に何も残らないんだ。結果を出すためにシューティングラインの上で何をするか。問題はそこなのに、ほとんどのアーチャーは結果を追いかけるだけ。
編集部: 「意識を置く」とはなかなかいい表現だけど、具体的には?
亀井: 心でしょう。
編集部: そのまま訳せば、「集中力=コンセントレーション」かな。
亀井: 違う。コンセントレーションで話をするのであれば、今も言ったようにアーチャーのほとんどがサイトピンとゴールドに集中している。100%間違いではないよ。例えば世界チャンピオンにゲーム終了後にインタビューする。「おめでとうございます。今日は何がよかったんですか?」と。たぶん彼はこう答える。「射ったら当たった。ピンを付けて、クリッカーが鳴ったんでリリースしたら当たった」って。
編集部: そのケースはよくあるね。
亀井: 彼は言外に「コンセントレーションはサイトピンとゴールドにあった」と言っているわけだけど、なぜそう言えたかといえば、そこに至るまでのすべての条件・要素が整っているからなんだ。
編集部: それはよくわかる。
亀井: サイトピンとゴールドでのコンセントレーションといっても、結局はエイミングだからね。エイミングとはピンを狙った所に止めることだけど、突き詰めて言うなら、エイミングに技術はいらない。エイミングのための筋肉をどう使おうか、なんて考えなくてもピンは簡単にゴールドに置ける。振れ幅を小さくするということはあっても、基本的なエイミングテクニックなんてない。ないからこそ、絶好調ですべてが整った一流アーチャーはそこに意識を集中させれば当たる。
編集部: それと、初心者や中級者がピンとゴールドにコンセントレーションするのとは違うというわけね。だけど目で見えるところにコンセントレーションするのが一番楽ではある。
亀井: ただ、それを乗り切らないことには、その上のステップには上がれない。普通の練習から意識を持って、テーマを持って的に向かっていかなければ何にもならない。
 
10個の課題のうち1個に集中することで、他の9個を忘れる。
 
編集部: それは今までにも言われてきたことで、コンセントレーションとは一律ではなく、自分の状況やその時その時の状況で変わってくる、と。
亀井: 弓をやる人に共通しているところは、何かひとつのことをやればそれだけでパーフェクトなフォームになるとか、1300が出るとか、考えすぎる。理想は高く持っていなくちゃいけないけど、必ずその間にステップがあることも忘れてはいけない。たとえ弓を持たなくても、頭の中で今よりうまくなるためにはどうすればよいか、を考える。イメージだって同じ。仮にうまくなるために10個のものが必要だとしても、1回でその10個を持つ必要はない。10個に優先順位を付け、ひとつひとつ片付けていく。そして、ひとつひとつにコンセントレーションしていく。
編集部: イメージに関して個人的な考えは違っていた。イメージというのは自分にないものや自分では不可能はことでも、頭の中では身に付いていたり可能であったりするわけで、例えばフォームなら完璧なフォームがイメージされアーチャーはその空間にある鋳型のようなものにピタリとはまるように努力する。そういった流れは亀井 孝にはない?
亀井: ないね。
編集部: ゴルフの話になるけど、トニー・ジャクリンにせよ、ジャック・ニコラウスにせよ、そのようなことを言っていた。
亀井: 彼らのレベルであれば、あるいはそうかもしれない。しかしペイスにしろ、そこまではいっていないと思う。
編集部: 例えば押し手が落ちるとする。その場合コンセントレーションは当然押し手に置かれるよね。そのコンセントレーションは、リリースからフォロースルーまで続くわけ? クリッカーが鳴った途端にリリースや残身に移行するのではなくて・・・
亀井: 押し手が落ちるのはマイナス要素。押し手が落ちなければ、点数は上がる。そのことが理解できているのであれば、これは立派なテーマになる。10個ある問題のうちでこのテーマ1個に集中することで他の9個が忘れられる。これはすごく大切なテクニックなんだ。
編集部: それはよくわかる。でもさっきも言ったように、イメージは無限の力と信じる者には少々物足りない。
亀井: イメージは無限だ。でも人間の能力は有限だからね。
編集部: そのことを理解した上で話してるんだ。多少入れ込みすぎたが、有限な人間の能力を限りなく無限に近づけられるのはイメージしかないと。
亀井: 射っている時に引き戻しをするのは、誰でもあることだよね。その時、どうしてそうなったかを例として考えてほしい。フルドローに入って引き戻しをする時は、風が吹いてピンがずれた時とか、クリッカーが鳴らずに「長いなー」と思った時とか・・・。いろんなことが頭の中をよぎるわけだけど、引き戻しをする場面では「あれっ?!」という意識があるからだ。「あれっ?!ピンがずれた」とか「あれっ?!クリッカーが鳴らない」とか。問題はこの「あれっ?!」という幅が広いか狭いか。
編集部: 問題は意識の幅、イメージの範囲だと?
亀井: そう。
編集部: アーチェリーは静のスポーツと言われるけど、リリースにせよ矢のスピードにせよ、動のしかも非常に速い動きのスポーツだと思う。その中でイメージを生かすノウハウというものがあるのだろうか。他のスポーツと比べてどう?
亀井: イメージの違いはないね。アーチェリーの初心者は80cmに入れば当たったと考えるけど、トップは10点でなければ当たったとは考えない。80cmと8cmの違いだけどね、その幅は練習していくうちに狭くなってくる。
編集部: 自分のレベルを大切にしろというけど、それは自分のフォームのイメージというものもあるだろうし、またさっきから亀井さんの言っている幅のイメージというものもあるんだろうけど、その違いは?
亀井: それは結果として点数や的中というものを捕らえているだけであって、もっと大切なショットの部分だろうね。ショットにイメージがあるから、結果として幅が入ってくるわけで。
 
近射で当たる感覚を身に付けて、長距離でそれを蘇らせる。
 
編集部: ニクラウスなどは自分がそれから打つボールの弾道が見えるというんだよね。その辺りについては?
亀井: 見えるよ。分かり易いのは、みんな50mでエイミングしている場面を考えるといい。エイミングしていてクリッカーが長くてなかなか鳴らない。そして今射ったら外すなーと思う時があるけど、たぶん外すよ。超能力じゃないけど、イメージが身体を動かしているからだ。
編集部: レベルの低いアーチャーによくある。
亀井: じゃ、矢が10点に吸い込まれることを描かないのはおかしい。外れることを描いて外れるなら、当たることを描けばいい。それが練習でしょ。
編集部: 意識が外れた矢の方にばかり向く。過去に固執して未来の可能性を自ら捨てている。
亀井: みんな射つ瞬間を考えすぎる。射つ瞬間をうまく処理しようとしすぎる。もちろん押し手は残さなければいけないし、リリースはひっからずにやるんだけれども、みんなリリースの瞬間を点で捕らえて、線で捕らえることをしない。射つ瞬間は残身に身体が向く。流れで残身を捕らえるわけ。流れているからイメージの幅も狭くなる。流れの中で残身を頭に描いて、残身に押し手や引き手を置く。そうすればリリースできる。怖くなくなる。瞬間の点で捕らえるから、怖くなってひっかけるわけ。
編集部: 残身を頭で描くのと、実際に射つ段階で10点に矢が吸い込まれるイメージと・・・・、難しいね。
亀井: 例えばスキーの選手が夏場に車の上のキャリアにスキー板を固定して、それに乗って車を走らす。フォームのこともあるけどイメージというか感覚、スピード感というかね、あるいはそのスピードから生まれる恐怖をなくすためにやっているわけね。
編集部: アーチェリーでもそんな訓練はできるかな。
亀井: 30mあるいは10mでも近射でもいいよ。それで練習してガシャガシャ当たることを訓練するわけ。ガシャガシャ当たることを覚えて、50mでそれを蘇らせる。短いから当たるんだ、ということじゃなくて、当たる感覚はこんなもんなんだということを覚えて、遠い距離に結び付ける。
編集部: イメージとは無限だからアーチェリーにおいて今考えられるだけでも、点数に対するイメージがあり、フォームに対するイメージがあり、そして弾道に対するイメージがある。結論として、そういったイメージ群をどう処理すればいいのだろう。同時に持っているものなのか、そうじゃないのか。
亀井: その場その場の状況で変わる。ただ同時というのはないね。ペイスやマッキニーは、だから自然体で構えている。その場その場で絵を描いている。例えば風が強ければ、ピンを止めることよりも速く射とうとイメージするし、フォームに何の問題もなければ弾道をイメージするかもしれない。ある程度自然体で臨んで、その場のイメージを組み立てていくことが必要なんじゃないかな。
編集部: 素人目で見ると、何かそれぞれイメージするところが違うように思えるんだけど。立体的、あるいは時間の要素も含め四次元で捕らえるとか。
亀井: 難しいね。これから研究して解明する必要があるんだろうけど、現時点ではちょっと難しすぎる・・・・。それより今までイメージというと、すべて画面だったわけ。映像なわけ。でも、実はイメージにも音の部分があって、映像と音にで構成されている。その音の部分を忘れている人が結構多い。リリースなら「シュッ」「ヒュン」というものや、あるいは「ボワーン」というものがある。クリッカーが切れるまで「スーッ」という音も僕にとっては大切なイメージだし、さっきのガシャッという音だってイメージだしね。そういったイメージを自分なりに組み立てて実行していく。イメージが身体を動かしているんだ、ということを再確認したうえでね。

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