有弓休暇(37)

 すいません、今の有弓休暇じゃないんですが、、、なぜか最近、中国の方からメイルをいただきます。それも一人や二人ではなく、多くの本物の中国人からです。そしてなぜか、その皆さんが、正直本物の日本人よりうまい日本語を使うのです。そこで、你好。。。
 今でこそ中国は強いのですが、、、そんな中国と日本が最初に行った公式試合が1978年5月の17日から27日の間に北京と広州と大原で3試合した、「第一回日中射箭友好試合」です。
 最初の試合が北京。今アルバムをひっくり返していて、新聞の切抜きで知ったのですが、この時男子団体は3767点の日本新記録を出してたようです。中国チームは3633点(シングル3名の合計です)でした。
 それにしても、今でこそ当たり前の的面に数字の書いた的ですが、この時の中国製の的紙は公認だったんでしょうか???
 当時、海外からのスポーツ選手はVIP級の扱いで、至れり尽くせりでしたが、その代わりと言うとなんですが、「学習」と称して試合後はパンダやサッカーの試合や映画、体育学校などを見せられたのを覚えています。それと写真はありませんが、試合中矢取りから戻ってくると、白衣を着た人が定規でスタビライザーや弓の長さを測っていました。ま、北京では人民服しか見かけない、そんな時代でした。。。
 そして今でこそ当たり前の観衆の前で射つ試合ですが、広州と大原ではこんな大観衆の中で射ちました。みんな双眼鏡もなしで、朝から集められたようですが・・・凄い。
 ただ、この遠征で初めて、世界にはエイミング中にスタビライザーの先端が震えない選手がいることを知りました。全部日本人ではなく中国人の通訳が付いているので、聞いてみると、中国の選手は12億の中から資質を診てここ北京に集められているそうです。同的の選手は地平線の羊の数が読めると言っていました。
 それにしても、試合の後に会場で出たあったかいビール、栓を抜くと噴き出すビールは、いただけませんでした。が、日中友好。あれから34年、お手柔らかにお願いします。再见、再见。

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