有弓休暇(40)

 先日、毎日新聞から取材の依頼を受けました。とはいっても個人の話ではなく、日本のアーチェリーの昔話です。まずは記事になった10月4日の新聞をご覧ください。
毎日新聞 2012年10月4日(木) pdfファイル
 
 取材の時には具体的内容は決まっていなかったようですが、昔々、韓国が日本のアーチェリーに教えを請うた。という話を韓国側から聞いたというところから、この企画は始まったようです。面白い切り口だとは思いませんか。で、連盟の偉いさんやいろいろなところを、信憑性を含め探し回られたようですが、新聞記者も大変な仕事です。
 そこで発端というか、教えを請うたその場所が「第1回日韓親善アーチェリー大会」なるものではないかというところまでたどり着いたようです。そこで取材後も何度かメイルでやり取りをしたのですが、なんとなく覚えていることや、言われてみればで思い出したことも、、、、
 多分この時の記録などはまったく残っていないのでしょうが、その理由の1つが日韓親善とはいってもこの大会は連盟レベルではなく、今でいう民間交流レベルからスタートした大会だったからです。それも県協会レベルではなく、その下のクラブレベルの有志(大阪、愛知、静岡、京都などの弓好き、弓バカ)が集まって行われたものです。ではいつ、どこでですが、これもいろいろ話しているうちに思い出した話ですが、この大会の優勝者は大学3年生の私ですぅ。それを証明できるのが、このトロフィー。飾って見栄えのするものだけを今も持っていますが、このトロフィーはガラスのケースに入った銀を削り出した立派なというより、繊細で美しいトロフィーです。
 これによると、試合は1974年6月8日に空港には自動小銃を持った兵隊さんがたくさんいる戒厳令が引かれるソウルでありました。点数はまったく覚えていません。ソウル近郊の軍の射撃訓練場に特設された会場でした。行って、勝って、壊さないように苦労してトロフィーを持ち帰ったのは記憶にあるのですが、それ以外は飲みすぎの翌朝といっしょで完全に記憶が飛んでいます。1位2位3位と上位を日本が独占、韓国に圧勝は確かです。
 ともかく試合の信憑性は確認できたのですが、そこにいたといういろんな人の記憶が一致しません。そこで年はわかったので、昔のアルバムを探してみたのですが、、、この時カメラを持っていっていなかったのか、まったく写真がないのです。で、見つけたのが、多分誰かからもらったこの3枚の写真、そうみんなでブレザーもそろえたし、美味しいプルコギも食べました。だんだん思い出してきたぞ。昔の懐かしい顔や偉くなった人の顔やもういなくなった人の顔もあります。こんな写真があるのを、まったく知りませんでした。
 言われてみれば、技術的なことや道具のことをいろいろ聞かれたのも確かです。通訳を通して話している相手は誰でしたっけ。ともかく、今とは逆で点数だけでなく、道具を作ることなどでも日本から20年以上遅れていたことは確かです。それが、なぜ、は記事を読んでもらうことにして。。。(これがすべての理由ではありませんが。)
 それにしても昔のことはよく覚えているのですが、アーチェリー以外のことはほとんど覚えていません。例えば海外に試合に行っても、試合場での些細なことは覚えているのに、観光地を巡ったことや行った街自体を覚えていないことがほとんどです。弓を射つことしか考えていなかった、あの頃です。今回のようにふと昔のアルバムを見ると、ほんとびっくりするようなことや忘れていたことを思い出します。あー懐かしい、というより、歳だぜ。。。。
 で、日本がこんなに強い時代があったんですよ。思い出すんじゃなく、もう一度造らないと・・・。

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