有弓休暇(15)

 ランチとショッピングとドライブを兼ねて、アパラチア山脈を見に行こうということになりました。そんなに遠くはありません、車で1時間ほど西に走ればノースキャロライナの人たちが「Blue Ridge Mountain」と愛情こめて呼ぶ、青い峰の山々を一望できるのです。
 そんな短いドライブの途中で、一軒だけ見つけた小さなハンティングショップに立ち寄ってみました。もちろん多くの銃やフィッシング用品、そしてアーチェリー用品もありました。そこで驚いたのです。本当に小さなショップ(日本のアーチェリーショップよりは遥かに大きいですが)の中のアーチェリーの一角なのですが、そこにはこれまで見たこともないような大量の「完成矢」が、箱に入って床に並べられているのです。並んでいるコンパウンドボウの数より遥かにたくさんの数が、もちろん日本より遥かに安い価格でです。
 これは日本にいたのでは考えもしない、アメリカのアーチェリーの現実なのでしょう。アメリカのハンティング事情は、州や地域そして獲物によってすべて規制は異なります。一般的に春から夏にかけては動物の子育ての時期であり、プロテクトされている場合が多いようですが、そうなると逆に10月頃から年明けにかけてはハンティングシーズン真っ盛りということです。そして獲物にもよりますが、一般には弓でのハンティングが銃より先に解禁され、期間も長いようです。(ここアパラチアは、ナショナルパークなので、禁猟区です。)
 そんな世界で、例えばここより北のペンシルバニア州でどれくらいのボウハンティング人口があると思いますか。特に弓でのハンティングには、銃と違って所持も狩りもライセンスが不要な場合がほとんどなので正確にはわかりませんが、「300万人」とも言われています。もしこの連中が、1シーズンに1ダースの矢を購入すると考えれば、その数は3600万本です。これがアメリカ全土になれば、想像もつきません。日本はペンシルバニア州の1%にも満たないマーケットなのです。
 まずはこの背景を理解しなければ、全体を見誤ります。ではこれらの矢が日本でおなじみのカーボンアローかといえば、そうではありません。Kurt たちはここに並んでいるような矢を「Junk」と呼びますが、アルミシャフト、カーボンシャフトに関わらずこれらは品質や精度においてガラクタだというのです。確かに我々が日本で目にする矢はほんの少しであり、それらも試合では使わないような矢です。しかし現実にこれだけ巨大なマーケットを形成するアメリカにおいて、実際に90%以上が「Junk」で占められているのです。その最大の理由は、ハンティングアーチャーの中で、プロハンターと呼ばれる(それは弓のチューニングができたり、スパインの選択やチューニングをちゃんとできるという程度の意味です)連中が10%にも満たないことです。そうでない趣味のハンティングアーチャー(年に1度だけ物置から弓を取り出したり、買ってきたパック詰めの弓のセットで裏庭で射つ程度のアーチャー)にとっては、スパインや12本の均一性など問題にならないのです。
 この現状に拍車を掛けるのが、輸入品の増加です。品質、精度、性能を気にしないのであれば、矢のカタチさえしていれば安いに越したことはありません。そのため、中国、韓国に加え、近年はメキシコ、ブラジルをはじめとする南米諸国からの「Junk」輸入が大きく増大しています。その中にはもちろん、日本でおなじみのブランド名がプリントされた矢も多く含まれています。
 
 少し話は違いますが、こうやってホームページを開いていると、アーチャーではない方からも問い合わせや相談を受けます。そんな中で昨年も日本の隣の国に輸出するので、カーボン繊維を売って欲しいという問い合わせがありました。問題はその量です。カーボンのグレードも状態も指示せずに、「カーボンをコンテナ1杯」欲しいというのです。怪しげでもありますが、意味が分からないので以前お世話になった新日本石油の方に聞いてみたのです。するとどうでしょう、この業界では「コンテナ1杯」や「コンテナ2杯」という単位が存在するというのです。それらは先の「Junk」を生産する国からのオーダーらしいのですが、はっきり言えば屑です。グレードも状態も関係なく、コンテナに詰め込んでカーボン素材が欲しいらしいのです。日本のカーボン繊維は世界一です。しかしそんな高品質を欲しいというのではなく、カーボン繊維ならなんでもいいのです。それがどうなるかといえば、某国で屑のカーボン繊維が釣竿やラケット、そして矢やリムに化けるというのです。精度や設備、ノウハウが「Junk」なだけでなく、中身も「Junk」というわけです。しかし製品になれば、我々に中身までは分かりません。それも現実です。
 今回訪問したAVIA社は、この種の「Junk」アローを除く、高精度、高品質のオールカーボンシャフト分野で世界最大のメーカーなのです。その理由は、意外にもアーチェリーの専業メーカーではないからです。現在、AVIA社の中で、アーチェリー用のシャフトが占める割合は、全体の10%もありません。最も大きいのは、エアバス社やボーイング社といった航空産業とポルシェやメルセデスといったレーシングカーを含む自動車産業へのカーボン素材の供給が80%を占めます。そして残りがアーチェリーとスポーツカイト(凧)、そしてホビーとおもちゃ業界への供給となります。これらはヨーロッパ、中東、アジア、オーストラリアと世界各国に送られています。
 このことは高性能なカーボンシャフトを作る機材や技術、そしてノウハウがあるということだけではありません。ここが非常に重要なのです。実はアーチェリーの競技用(Junkでない分野)に使用するカーボンシャフトは、非常に精度が要求されます。(ここで言う精度も、普通のアーチャーには「真っ直ぐさ」で見せられる「曲がり」精度だけが言われますが、実際には「重さ」や「硬さ(スパイン)の均一性」がより以上に的中精度に影響を及ぼします。ところが重さや硬さはシャフトを転がしても確認できません。そして的面での結果は、技術とすり替えることが簡単です。特に初心者や中級者に対しては、例えシャフトが原因であっても、アーチャーの技術の結果と言われれば反論はできないのです。) ところが高精度なシャフトを作るにはオールカーボンであっても、アルミをコアとしてそれにカーボンを巻き付ける(アルミ/カーボンシャフト)ものであっても、非常に歩留まり(生産したものの中で、製品として使用できるものの割合)が悪くなります。大雑把に言えば、50%からそれ以上の製品が、作っても商品としては出荷できないのです。当然これらの不良品(?)は捨てられることになり、残りの製品価格に上乗せされます。(そのため一部のメーカーの商品は、12本ずつを選びなおしてパックにつめることで歩留まりを上げています。) ところがAVIA社は、そんな精度の悪いシャフトをスポーツカイトの骨組みや模型のヘリコプターの材料とすることで使用できるのです。その結果、高品質、高精度なシャフトのみを低価格でアーチェリー用として提供できるというわけです。
 日本にいるとオールカーボンシャフトがアルミ/カーボンシャフトの下に位置付けられるような印象を持ちますが、現実はシェアにおいても精度においても異なります。その理由は、生産方法からも明らかです。これらの生産方法は、一般にオールカーボンシャフトが「プルトルージョン製法」と呼ばれる作り方に対し、アルミ/カーボンシャフトは「シートローリング製法」で作られています。
 シートローリング製法とは名前のとおり、カーボンシート(この時のシートは、プリプレグと呼ばれる半硬化状態の柔らかいものです)を巻き付けて作る方法です。ちょうど巻き寿司を想像するとよいでしょう。アルミの薄いチューブに対してカーボンシートをのりを巻くように巻きつけます。そして加熱して固めることでシャフトを作ります。ところが分かると思うのですが、この方法は手間が掛かるだけでなく、出来上がった巻かれたのりの厚さがすべての部分で均一でなかったり、外観上の寸法が揃わないことがあります。ましてやこれを樽型に外径を変えようとするのは、大変な作業です。しかしどちらにしても、外径を整えるために「センターレス研磨」という方法で表面を削ります。(この種のシャフトが最初手を黒くするのは、その時の削ったカーボンの粉が残っているためです。) 結果、寸法的(特に外径)には均一になっても、カーボンの厚さや重さ、硬さ(スパイン)にバラツキが出ることになります。そのため歩留まりが悪くなり、コストも上がるというわけです。
 それに対するプルトルージョン製法は、金属加工でも使われる引き抜き製法と考えればよいでしょう。均一な製品を低価格で量産するのに適します。そして機材やノウハウにもよるのですが、基本的に研磨などの後加工を必要としません。リムに使われるFRPやCFRPもこの方法で作られています。
 
 我々が当たり前と思って使っている矢も、アメリカの何100万人のアーチャーは本当に知りません。そんな矢をアメリカが作っていることすら知らないのです。ところが日本においては、それが100%なのです。世界においても同じです。日本人が当たり前と思っている矢は、世界のマーケットではほとんどが選手対策で配られるものであり、もっとも買ってくれるのは日本人です。それもアメリカ人には信じられない値段でです。
 これを「上得意様」と言わずに、なんと言うのでしょうか・・・。

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