有弓休暇(27)

  1Q69年7月21日、高校1年の夏休み、クラブの練習。多分今年より暑かった、うだるような日の昼めしの後。岩倉の大きなクスノキの下で、人類が月に初めて降り立ったというニュースを聞いた。ちょうど今から40年前。ということは、あれから40年と4ヶ月、休むことなく射っていることになる。
 当時はもちろん「1Q69」が、「イージー・ライダー」「唐獅子牡丹」同様に意味のある年だとは、思ってもいなかった。しかし考えてみると、世界と日本のアーチェリーの歴史の中で、非常に重要な年だったのを、今になって思う。
 
 例えば、今でこそ当たりまえの「コンパウンド」。人類何万年の歴史の中で、棒につるを張っただけのシンプルな道具に、この時初めて「滑車」が付いたのだ。正確には、アレンさんが発明したコンパウンドボウの特許が認められた年だった。このことは月面着陸と同じくらいに、アーチャーにとっては画期的な出来事。引けば引くほど重くなった弓が、この年を境に突然引くほどに軽くなってしまった。アメリカ人の合理主義によって、谷に突き落とされた気分だった。多くのアーチャーは、アーチェリーというカテゴリーの中に、コンパウンドが属していると思っている。しかしそれは間違っている。何万年分の40年。道具としての弓の延長線上にコンパウンドが進化したのではなく、突然変異として弓に似たものが現れただけだ。オリンピックでもトラディショナルなアーチェリーに対し、ニュースポーツと分類され、参加を認められていない。これは非常にまっとうな判断だと思う。なぜなら、コンパウンドは道具ではなく、「機械」だからだ。
 
 「リカーブ」でもとんでもない発明が、この年世に出た。マイケル・ジャクソンより昔のムーンウォークから1ヶ月、初めて「クリッカー」なる道具が、世界を制したのだ。第25回世界「ターゲット」選手権大会。前回優勝のレイ・ロジャースを退け、30m最後の3射の前に腕立て伏せをして、次回にはチャンピオンとなるジョン・ウイリアムスを振り切り優勝したのはハーディ・ワードだった。レイ・ロジャースまでのチャンピオンはノークリッカーで自分と戦っていた。しかし、ハーディ・ワード以後、すべてのレストの横に板切れが付くようになり、戦う相手が代わってしまった。それからも世界選手権のたびに新しい道具が登場した。しかし、テイクダウン、リム、スタビライザー、ストリングそして極めつけのアローにしても、それらはすべて新素材の登場によるものであり、いくら点数を飛躍的に伸ばすものであったとしても、新発明ではなかった。木がマグネシュームに、ダクロンがケブラーに、アルミがカーボンに替わったにすぎない。ところが、このクリッカーだけは、違う。クッションプランジャーをはるかにしのぐ、無から生まれたこれほどシンプルな「道具」はない。
 そんなにアーチェリーを面白くしたいなら、そんなにハラハラドキドキしたいなら、「板切れ」をルール上禁止すればよい。今のような小手先のルール変更や本質を逸脱したルール導入など一切必要とせず、心技体スポーツの原点と鍛え上げられた人間の姿を見ることができる。レイ・ロジャースのバラの刺青がそれを物語っている。
 
 そんな舞台となったのが、アメリカ、ペンシルバニア州「バレーフォージ」。すでに王座に君臨していたアメリカが初めての自国開催場所として、建国の地を選んだのには特別な意味があったはずだ。それにこの時、「ターゲット」に続いて世界「フィールド」選手権の第1回大会も、ここバレーフォージで開催された。
 
 この出来事は日本にとっても、私にとっても特別の意味があった。日本はこの時、初めて現在の「全日本アーチェリー連盟」として、それまでの弓道連盟から独立して男5名、女3名の選手を送った。「洋弓」が日本で独り立ちした年なのだ。
 雑誌アーチェリーが初の専門誌として発刊されたのが、1971年。インターネットもない時代に、バレーフォージの写真を目にしたのは、1年以上後になってからだった。この1枚の写真が、私の人生を変えた。
 当時は名前も知らない日本選手が、シューティングラインでフルドローをしていた。その前方には長距離の的が並ぶ。的同士の間隔が数メートル。「あんな広い所で射ってみたい!」と、高校生は思った。手段も方法も分からず、ただ「憧れ」だけが生れた瞬間だ。その選手が西由利子さんであることを知ったのは、憧れが現実になってずいぶんと時間がたってからだったと思う。
 
 そして今日、あの時西さんといっしょにバレーフォージで世界と戦った、生き残りのひとり。川西大介さんと食事をし、飲んだ。数年前から年に1回、多い時は数回、京都でこんな時間を過ごすようになった。今回は懐石。「あの時はねж¢ゞЭ」と二人は話す。シーラカンスのようなものだ。上に上がってくると元気がないが、深いところでは悠々と泳ぎ回っている。生きる化石のゆえんである。しかし、誰かが語り継ぎ、言い続けなければ、同じ過ちや無駄な時間を過ごすことになる。化石でも、生きているから意味がある。
 それにしても、最近は動画までもがリアルタイムで手元に届く。しかしこの動画を観たアーチャーは少ないだろう。ジョン・ウイリアムス、レイ・ロジャース、ハーディー・ワード、ビクター・シドルーク、スティーブ・リバーマン、西由利子、谷まゆみ、平田正代、フレッド・ベアー、ジョージ・ヘルウイッグ、ミセス フュリッツ、OKスマサーズ、ドロシー・リドストーン、ドーリン・ウイルバー、ビッキー・クック、、、、3射3分、「長い」と言うなかれ。シーラカンスたちはシューティングラインの上で、悩み、苦しみ、考え、学び、大人になったのだ。「1Q69」、そこに近代アーチェリーすべての原点がある。コイン投げやサイコロ転がしでない、真のチャンピオンがここにはいる。
 
 
 そして7年。アメリカ建国200年で全米中が沸きかえっていた1976年。世界選手権の次に勝つことが難しかった大会、全米選手権は当時オハイオ州マイアミ大学クックフィールドで行われるものと決まっていた。ところが1度だけ、会場が変更されたことがある。この年だけが、記念すべきバレーフォージで行われたのだ。
 憧れの風景の中で、初めて彼らと同じシューティングラインをまたいだ。 
                  "That's one small step for a man, one giant leap for archer."
         心から一歩も外に出ないものごとは、
              この世界にはない。
                  心から外に出ないものごとは、
                      そこに別の世界を作り上げていく。  1Q69 BOOK2

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