有弓休暇(28)

 関西学連個人選手権。関西の人間は「かんこ」と呼びます。炉端は「がんこ」です。今年も、この試合の予選、本戦(決勝)と行ってきました。もう20数年は見に来ているでしょう。そしてかんこに限らず、全日本、インカレ、インターハイ、国体、ローカル、、、自分が射つ試合も含めて40年間、たくさんの選手を見てきました。
 そんな数え切れないアーチャー達の中でほんの数人(今思い出しても5人しか浮かびません)、ウワァーどうしょう。と見ていてゾクゾクする選手がいました。勝ったから、当たっているから、うまいからゾクゾクなんかしません。もうほんとうに美しく、ほんとうに素晴らしく、ほんとうに心から感動する射ち方をする選手です。仮にここで、同じラインをまたいで自分の最高のシューティングをしたとしても、ごめんなさい、あなたには勝てません、と握手を求めに行き、ハグしたくなるそんなゾクゾクする選手です。
 その数人の選手がどうなったかは書きませんが、自分に見る目がなかったとは決してこれっぽっちも思っていません。ただ、世の中にはいろいろなことがあるものです。
 ところで、「当たること」と「うまいこと」と「美しいこと」は残念なことに一致しないことがあります。「なんであれで当たるの?!」と「なんであれが当たらないの?!」の違いです。そして近年、カーボンアローが登場してから、試合が70mのマッチ形式になってからというもの、この傾向が如実に現れています。低ポンドでも飛び、12本射てればチャンスがあるからです。
 しかし例え世界がそんなルールであったとしても、本気で勝ちに行き、勝ち続けるためにはすべてが必要です。「あれなら当たって当然!! あの射ち方されたら勝てないわ!」という評価です。
 それはさて置き、今年のかんこは試合とは別にワクワクすることがありました。嬉しくなることです。10年ぶりか、もっと長く久しぶりに道永に会ったのです。「道永 宏」ですよ、そして少し話す時間も持てました。なにはともあれ、彼がこの世界に戻ってくることを聞けたことが、久しぶりに会ったこと以上に嬉しくてたまりません。理由はともかく、シーラカンスが1匹増えるのです!
 1976年モントリオールオリンピック、個人銀メダリスト。
 日本に銀メダリストは4人(アウトドア:オリンピック2人、世界選手権2人)もいても、「金」はいないのです。(河渕さん、ごめんなさい。世界フィールドベアボウ女子の個人金メダルだけは除いてです。) この「最初」のメダルを取ったのが道永です。
 それが大事です。2番目3番目に同じ色のメダルを取ることは、怖くありません。2番目3番目だからです。2人目、3人目としてそこに並ぶだけだからです。しかし、最初は違います。日本で初めてそれをするのです。そのプレッシャーの違いは、金と銀の違いほどに大きいものです。そして誰がするかは知りませんが、最初に「金メダル」を取る時は、銀など足元に及ばないほど偉大なことになります。銀は表彰台に上がって、メダルを掛けてもらい、握手して、立ち上がり手を振りながら、ひょっと横を向くと自分より高い所に1人立っているのです。ところが、金はテッペンです。世界の頂点に立つ時、自分より上には誰もいません、下にしか。しかし金とて、2番目3番目はその横に2人目、3人目として並ぶことです。頂点に最初に立つことの素晴らしさと怖さを想像するべきです。柔道でも水泳でも、スケートでも簡単に新しい金メダリストが生まれるでしょう。
 少なくとも道永は、日本で最初のオリンピック銀メダリストです。そしてゾクゾクした選手のひとりです。
 1976年、スタンドから1観客として試合を見ていました。本当に素晴らしい射ち方でした。写真を見なくても、脳裏に焼きついています。
 
 モントリオールからバレーフォージに飛びました。記念すべき建国200年の全米選手権大会。開会式では、特別セレモニーとして、前回ミュンヘンオリンピックで金メダルを獲得したジョン・ウイリアムスとドーリン・ウイルバー、そして1週間前に道永の上にいたダレル・ペイスとルアン・ライアンがデモンストレーションを4人揃って行いました。
 あの時代、チャンピオンはすべてを持っていました。持っているからこそチャンピオンだった時代です。道永がいたから、もっと美しく射とうと思いました。それが非力な日本人が、世界で勝つための条件でした。
 ごめん、道永。新聞のインタビューで「道永だけが選手だと思われたら腹が立つ。」と言ったのは本当です。
それくらいあなたは、美しく、強く、偉大なメダリストです。

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