コンパウンドよ、お前もか?!

 アーチェリーをやっている人なら、アーチャ―という人種がいかに特殊な人間であるかということはよく知っているはずです。もっと分かり易くいえば、どれだけ変なヤツが多いかを実感しているはずです。自分勝手で、自己中心的、わがまま、それでいて目立ちたがりやときています。普通のまっとうな世界では到底やっていけそうにないヤツらがレンジに集まっているのです。そんな所にたまに間違って普通の人が入ってきて、おっイイナ!などと思っていると、一ヶ月も経たないうちにどこかに姿を消してしまっています。まともな人には多分我慢ならない世界なのでしょう。そりゃあそうでしょう、自分が中心に地球は回っていないといやな人間ばかりが集まっているのですから・・・・。
 それはいいのですが(仕方ないと諦めるとして)、そんな中でもリカーブとコンパウンドの人種も少し違っています。多分これは東京と横浜の人の違いを関東人でないと分からなかったり、大阪と京都の違いが関西人には分かる、といった程度なのですが、それでも本質の部分で明らかに異なる資質を備えているように思えます。

 そんないろいろな方からメイルを頂くのですが、最近コンパウンドをやっている方ややってみようという方からのお問い合わせを多く頂くようになりました。
 そこで気になるのですが、その質問の多くが「コンパウンドのチューニングは難しいと聞いたのですが!」や「最新の弓を勧められるのですが・・・?!」といったたぐいの質問です。それはレンジやショップで聞いた話やインターネット上のやり取りも含まれています。そんな個々の話にとやかく言う気はないのですが、ただそれが今の日本のアーチェリーにとって本当にいいのだろうかと正直心配になってしまう今日この頃なのです。
 今、日本のアーチェリーは危機的な状況にあります。競技的に世界で勝てないのもそうですが、ともかく競技人口の減少が止まりません。当然それはレンジの減少とも繋がって悪循環の極みまできています。しかし、ここまでひどくはないにしても一昔前同様の状況がF.I.T.A.(世界アーチェリー連盟)にもありました。オリンピックでのアーチェリー競技の常時開催のためには、世界で100カ国を越える国での連盟の組織化が不可欠だったのです。そこで考え出されたのが、オリンピックラウンドの採用を含む「見せるアーチェリー」への方向転換でした。そしてもうひとつの流れが「コンパウンドボウ」の認知と導入です。
 それまでコンパウンドはアーチェリーではなかったのです。機械で射つことは邪道だったのです。しかしそんな時でも、アメリカには数100万人とも言われるコンパウンドアーチャーが存在していました。逆に今も昔もアメリカにはリカーブボウアーチャーは6000人程度しかいません。その理由は何だと思いますか???

 アメリカでデパートやショッピングモールに行けば、ピストルやライフルと並んでコンパウンドボウがパックに入って、数10ドルで売っているのを簡単に見つけることができます。リカーブボウを探すのは至難の技です。まず不可能でしょう。
 確かにハンティングというバックボーンはあるにしても、アメリカ人にとってコンパウンドはバックヤードスポーツなのです。何の指導者がいなくても、ちょっと買って帰って裏庭や納屋の中で自分流に楽しめばそれで十分なのです。そんな人たちに数100ドルの弓を勧めて、ペーパーチューニングだの、バレーがどうだのと言って誰がアーチェリーをやるというのでしょうか。それ以前に、そんな難しい話がなくてもこれだけ広まったのがコンパウンドではないのでしょうか。
 最新の弓や完璧なチューニングが悪いとはいいません。しかし、それらはある程度射てるようになったアーチャーや競技で勝ちたいアーチャーに必要なものであり、それは数少ないアーチャーのはずです。今必要なのはまずは「仲間作り」です。ひとりでも多くの仲間ができて初めて、弓具談義やチューニングの話題に花が咲くのではありませんか?! 
   コンパウンドもリカーブも前に飛んだらアーチェリーなのです。10人いれば10通りのアーチェリーの楽しみ方があるはずです。コンパウンドにも同じ過ちを繰り返して欲しくないのです。「コンパウンドよお前もか・・・・・」となった時、日本のアーチェリーの生きる道はないでしょう。コンパウンドにはリカーブを超えての発展の可能性が残されているのです。

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