|  伊豆田さんが辞めてしまいます。 | 
    
    
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        |  昨日、伊豆田さんからメイルが届きました。「伊豆田忠男」氏をご存知ですか?!
        ちょっと古いアーチャーなら雑誌アーチェリーなどで伊豆田さんの文章を見たことがあるかもしれませんが、多くのアーチャーにとっては始めて聞く名前でしょう。 | 
    
    
        |  このホームページでも伊豆田さんのご厚意に甘えて図表や数字を使わせていただいていますが、実は伊豆田さんは日本の、というより世界のアーチェリーにとっての「頭脳」なのです。分かり易く言えば、今のヤマハの弓をその設立当初から作り続けてこられた方です。ヤマハアーチェリーの生みの親が川上源一氏なら、その育ての親が伊豆田忠男氏なのです。 | 
    
    
        |  そんな伊豆田さんがこの9月30日をもってヤマハを退職するというのです。まだ定年までに2年を残して・・・・。 | 
    
    
        |  ちょうど今年はヤマハアーチェリーにとって記念すべき「40周年」。ヤマハがアーチェリーを作り始めて40年になるのです。そして皮肉なことに今、ヤマハもそして日本のアーチェリーも崖っ淵に立たされています。それをこれまで「普及」と「強化」という車輪の両輪で語ってきたつもりですが、実はもうひとつ日本のアーチェリーには大きな側面があるのです。それは「道具」です。40年前、川上氏は「日本人にあった弓を作り、日本人がそれを使って世界一になる」という夢から日本のアーチェリーをスタートさせました。そして1976年「1%の弓具の精度アップは14点の得点向上につながる」という発想をもとに「Citation」と呼ばれるトッププロジェクトが開始され、翌年には日本の弓が世界の頂点に立ち、日本人が世界の頂点を垣間見たのです。これもすべては伊豆田さんの努力と才能によるものです。 | 
    
    
        |  しかし技術畑であるがゆえに一般のアーチャーが伊豆田さんを知る機会は少なかったはずです。しかし、伊豆田さんの恩恵を受けていないアーチャーはいないのです。これは日本のアーチェリーに限ったことではありません。ヤマハが世界の頂点に立つ以前から世界は日本を、そしてヤマハを見ていました。HoytもEastonも、そしてすべてのメーカーがです。そんな脅威と期待に答えながら世界をリードし続けてきたのがヤマハであると同時に、伊豆田さんその人なのです。そんな伊豆田さんがヤマハを辞めるということは世界のアーチェリーにとっての大きな損失であると同時に、日本のアーチェリーに対してのカウンターパンチ以外のなにものでもありません。ヤマハがもし仮にアーチェリーからの撤退を免れたとしても、これは致命傷です。 | 
    
    
        |  世界の舞台での惨敗が久しい今。国内のアーチェリー人口が激減している今。西沢がすでに撤退し、もしヤマハが追随を余儀なくされれば、日本のアーチェリーは完全に基盤を失うことになります。今回の伊豆田さんの決心がそれを現実のものにするきっかけでないことだけを祈りたい気持ちです。 | 
    
    
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        | 来週にでも、会えれば浜松に行ってきます。一緒に一杯飲んできます。 | 
    
    
        |  ありがとうございました。お疲れさまでした。 | 
    
    
        | 伊豆田さんが作った弓のためにも、日本のアーチェリーを守っていきます。 | 
    
    
        | 1999.7.31. | 
    
    
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