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世界選手権代表メンバー。団長は和弓から渡辺男二郎さん(左から4人目)、監督はアーチェリーから細井英彦さん(左から3人目)。一番左端が宮田さん。そしてアーチェリーでの参加は、左側から早稲田OBの円城寺紘征さん、大阪府大OB末田
実さん、芝浦工大の松島伸一さん、早稲田の木村修司さん、明学の前田栄一郎さん、日体大の塩見芳信さんです。 |
この時、全日本アーチェリー連盟は独自に選考会を行いこの6名の選手を選び、その後全日本弓道連盟の代表3名を加えて最終選考会が行われました。結果的に和弓でのトップであった宮田さんを加え、アーチェリーの6名は一時的に全日本弓道連盟に会員登録して、合計7名の日本代表が世界選手権に派遣されました。 |
全日本アーチェリー連盟発足後初めての世界選手権参加であり、全日本弓道連盟最後の参加でもありました。日本が初めて世界選手権に参加したのは1961(昭和36)年オスロ大会。そして1963(昭和38)年ヘルシンキ大会にも選手を送っていますが、すべてアーチェリーの選手です。(1965年スウェーデン大会は不参加) |
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この大会ではそれまで1立6射5分だったのが、3射2分30秒の新ルールが適用された最初の試合だったようです。知らなかったのですが、この時は先立の選手が3射終了してシューティングラインを外すと、次の選手が射ってもよかったそうです。そのために他国の選手が混ざって並んでいる写真があります。 |
それにしても、レイ・ロジャースはすごい点数です。ワンピースボウ、グラスリム、ダクロンストリング、アルミアロー、エクステンションなし、4インチスタビライザー2本、クッションプランジャーなし、そしてなによりもすでにクリッカーを使う選手がいる中、最後のノークリッカーチャンピオンです。 |
そしてそれと同じくらいにすごいのが、宮田さんの点数です。矢はアルミですが、特注の背の低い鳥羽根。すべての距離で使われたか定かではありませんが、手製のサイトは付けられていたようです。しかし、竹の和弓で90mから射ってこの点数です。ちょっと普通で出せる点数ではありません。和弓の枠を超えて、いろいろと試し研究されていた立派な方だったそうです。宮田さんが唯一派遣されたのも、その技術が卓越していたからのようです。 |
どちらも驚異的だと思います。世界への第一歩。日本のアーチェリーの原点が、ここにもあったのです。 |