そこで源一さんは全ア連の公認を取らず、独自のアーチェリー大会を立ち上げます。それが「つま恋カップ」の前身の「ヤマハカップ」のそのまた前身にあたる「川上杯」です。
この試合は最初、弓を作る「西山工場グランド」からスタートし「天竜工場」に移り、そして第9回大会から前年オープンした「つま恋」で開催され、現在に至っているのです。
ちなみに全ア連との関係が修復され、ヤマハカップと改名されるのは昭和62年(1987年)の大会からです。
日本で最高の大会にしなさいとの命の基、世界選手権や全米選手権を参考に、そして海外からも多くのチャンピオンを招き、採点方式やレセプション開催など最先端最新鋭の大会が「つま恋」で行われてきました。また大会だけでなく、レベルアップキャンプやレディースキャンプなど多くの合宿や講習会も実施されました。
つま恋が「聖地」と呼ばれるのは、単にそこに試合会場があるからだけではないのです。そこにアーチャーの夢と理想の歴史があるからです。 |