有弓休暇(46)

 いつもと同じように、学生と一緒に春合宿に一週間行ってきました。三重県志摩市の大崎半島にある「合歓の郷」です。1978年から毎年通ってきた場所です。立命館の連中とは1987年(?)からですが、それまでには合宿巡回クリニックや多くの試合での思い出の場所です。
 そんな40年近く通い慣れた合歓の郷が、今回でアーチェリーは最後ということになってしまいました。
 合歓の郷でアーチェリーを想うアーチャーも今は少ないでしょうが、ここは「つま恋」以前の日本のアーチェリーにおける聖地です。今でこそ2007年から三井不動産に売却されましたが(2002年にヤマハはアーチェリーから撤退)、それまではつま恋同様「ヤマハリゾート合歓の郷」とヤマハの施設でした。つま恋ができたのが1974年。合歓の郷が開園したのが1967年で、川上源一さんがレクレーションの夢を具現化させた最初の施設がここです。このノウハウを持ってつま恋は作られています。当然そこには源一さんの「日本のアーチャーが日本の弓で世界の頂点に立つ」という想いも込められていました。
 1970年には前年バレーフォージ世界選手権チャンピオンのハーディー・ワードをヤマハがアメリカから招待し、ハーディーはヤマハの「YG」を使い全国でのデモンストレーションや全関西選手権出場後、ここ合歓の郷で全国のトップアーチャーを集めた記念大会で日本人の目の当たりで世界の技を披露したのです。
 その後、「川上杯」(のちのヤマハカップ、つま恋カップ)が1974年にそれまでヤマハの西山工場や天竜工場のグランドで行われていたのがつま恋に移るまで、世界選手権選考会や多くの大会がここ合歓の郷で行われました。今のつま恋と同じように大会だけでなく、合宿やイベントでこの施設を利用したアーチャーは多いはずです。ちなみに今の人は知らないでしょうが、つま恋はSMCに飾ってある「拓郎・かぐや姫コンサート」や「ポプコン」で有名ですが、第1回のポプコンが行われたのは合歓の郷です。
 そんな合歓の郷がこれまでにもいろいろありましたが、ついにアーチェリーから撤退です。1997年にできた温泉館「夢の舎」や場所は何度か変わっていますが、開園当初からずっとある「アーチェリー場」は3月末にはなくなります。そして昔は「キャンパーズ」、今は1994年にできた合宿の宿泊に使う「エクシード」は年内には解体されます。
 ただしホテルはすでに一部改装されていますが、「ホテル合歓」として高級志向で存続します。また、以前のプールやヴィラがあったマリーナのあたりは合歓とは別に「アマンリゾーツ」が高級リゾートホテルを2016年開業を目指してすでに現地は工事に入っています。
 これから新しい合宿場所探しが大変ですが、、、これも時代の流れです。来年からはアーチェリーなしで、超高級リゾートで上質な贅沢を楽しみに来ます。来れればですが・・・。
 寂しいですが、長い間ありがとうございました。

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