クリッカーの一考察

 アーチェリーでの最大の発明は、と聞かれれば、迷わず「クリッカー」と答えます。
 カーボンアローでもテイクダウンボウでもスタビライザーでもサイトでもレストでもプランジャーでもなく、クリッカーです。
 クリッカーという道具が世界に登場したのは1960年代初め頃、誰の発明かは知りません。それが日本に持ち込まれたのは、1963年のヘルシンキ世界選手権に参加した日本代表選手でした。しかしそれが世界に定着するには予想外に年月が掛かっています。ノークリッカーの最後の世界チャンピオンは、レイ・ロジャース。1967年アマースフォート世界選手権のこと、そしてクリッカーでの初の世界チャンピオン登場は、2年後のバレーフォージでのハーディー・ワードです。とはいっても、それまでにも ハンス・ライトや何人かのクリッカーを使うアーチャーが距離別での世界記録を更新し、確実にクリッカーは世界に浸透してはいました。
 ではなぜクリッカーが凄いのか。カーボンやケブラーや高密度ポリエチレンの道具が登場して記録を塗り替えても、それは単なる新素材革命にしかすぎません。弓やサイトやスタビライザーの形が変わりプランジャーが登場しても、それは単に道具の進化にしかすぎません。これらは単なる時代の流れであり、自然の成り行きです。
 ところが、クリッカーだけは素材でもカタチでも単なる道具でもなく、アーチャーの心に働く魔法の弓具なのです。クリッカーを使わずに射つことを考えれば、性能は分かるはずです。
 1963年以降、日本においてもクリッカーは使われてはいました。プラスチック定規を切ったり糸鋸を削ったりした、手作りの陳腐な道具がほとんどでした。製品としてのクリッカーがアメリカから輸入されだしたのは1968年頃からです。しかしクリッカーは素材やカタチや製品とは無関係であり、存在自体が魔法を起こします。
 1960年代には視覚に働きかけるクリッカーや、1980年代には触覚に働きかけるクリッカーもありました。今でも、マグネットを使うものや、矢の引き込み位置がチェックしやすい形状のものもあります。しかし、いくら時代が変わっても魔法の素は単なる「板切れ」です。カチッと鳴ればいいのです。アーチャーはこの音に条件反射で反応することが求められるだけです。
 ところが、このシンプルな魔法の板の本質をアーチャーはよく見失います。例えば音は大きければ効果が大きいと勘違いします。身障者でまったく耳が聞こえないのに、クリッカーを使うアーチャーを見かけます。音を聞くのでなく、感じるのだそうです。クリッカーは聴覚だけでなく、視覚や触覚に働きかけています。音だけの魔法ではありません。ハンドルを叩くテンションが大きければそれでいいのでは決してなく、音色を聞き分け音を感じる魔法なのです。
 音を大きくしようと分厚い板を使ったり、大きく曲げることでハンドルを叩くテンションを上げるアーチャーをよく見かけます。ところがカーボンアローという軽い矢のため、鳴った瞬間に矢をプランジャーチップから跳ね上げてしまうのです。そんなアーチャーが増える原因がもうひとつあります。クリッカープレートです。たった10年前までクリッカープレートは初心者の道具でした。ドローレングスが定まらずクリッカーの位置が不安定なアーチャーを助ける補助的な道具でした。トップアーチャーも上級者も決して使わない道具です。
 ところがハンドルの形状が変わり、狭いウインドゥ幅だけでは広いスペースが確保できなくなるにつれて、ハンドルメーカーは初心者の道具を主役へとすり替えてしまいました。お蔭でレストのツメより先の不要な長さが、硬いクリッカーと合わさって簡単に無意識に矢を跳ねあげるようになりました。
 それだけではありません。クリッカープレートをスパイン調節の道具と勘違いしているアーチャーもいます。スパインチャート表の長さに合わせるために、不要な長さを稼いでクリッカーを前に出したりもします。しかし、リリース時の最初の最も大きな力を支えるのは、ノックとプランジャーチップの2点間の距離です。実際のドローレングスが伸びない限り、ツメより先がいくら長くなっても効果は二次的です。それ以上に、この無駄な長さは矢の断面積の増加を生み出します。一昔前までクリッカープレートをトップアーチャーが使わなかった(レストのツメの先でクリッカーを鳴らしていた)のは、矢が風や雨の影響を受けることを最小限にとどめるためです。
 近年、カーボン製のクリッカーがあります。このただただ硬くて高価なクリッカーに、何の性能と意味があるというのでしょうか。ひょっとしたら弓具メーカーの魔法の道具かもしれませんね・・・。

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