ダレル・ペイスのVバーの写真を見たのはそれから一ヵ月後。それを待てずに、クラブにいた旋盤屋さんに絵を書いてアルミを削り出して作ってもらったのです。彼とはまったく異なるこのスタビライザーが世界のスタンダードになることはありませんでしたが、その年の9月14日全関西選手権で日本で初めての90m300点を含む1262点の日本記録を樹立しました(300-311-305-346)。これは1971年に中本新二さんが射ち立てた1252点の世界記録を4年ぶりに更新するものでした。 |
ダレル・ペイスは後に、あのスタビライザーは自分が考え出したと話してくれましたが、その時彼の頭に日本人が作ったヤジロベーがあったとは思えません。ヤジロベーが日本で商品化された時、そのセッティングがグリップの中に重心を置くというものであったことから考えると、彼の発想は異なるものでした。 |
|
日本製ヤジロベー
1971年8月1日 インターハイ優勝
600点 |
しかしともかくはこの時期、それまでスタビライザーは本数や取り付け位置にかかわらずすべてが平面の中に収まっていたものが、立体的な構成に変化したのです。このことはスタビライザーの歴史の中で革命的な出来事でした。この発想を思えば、スタビライザーの素材の変化(鉄やアルミからグラスやカーボンに)や形状の変化(無垢からパイプに、ストレートからテーパーに、そしてまたストレートに)などの進歩は、単なるマイナーチェンジ的出来事にしかすぎないのです。もし同じような革命があったとすれば、それはウエイトスタビライザー(単に重りを弓に取り付ける)の時代にロッドスタビライザーが発明されたことでしょう。 |
あれから30年。今ほとんどのアーチャーが使っているスタビライザーは、Vバーとハンドルの間にエクステンションロッドを配し、角度を水平に保つという、リック・マッキニーがダレル・ペイスのスタビライザーを1976年にアレンジした形状そのままのありふれたモノです。 |
|
1978年7月23日 全日本実業団優勝
651点(大会新)
|
ダレル・ペイスを真似てこんなフレーム形スタビライザーも作りました。こんなテトラシステムも作りました。 |
|
1983年 ラスベガスシュート |
そして、インドア競技では、必ずインドアチューニングで臨みます。 |
しかしそれでも、あれ以来、革命は起こってはいないのです。 |
|
では、そんなありふれた形状での重量配分や素材の変更とは別に、性能や機能においてスタビライザーの何が変わったのか? |
それを話す前に、考えているモノのヒントとしてキーワードを差し上げましょう。11月19日、特許の出願手続きを終えました。そんなこんなを話す前に、ちょっと頭の体操をしてみましょう。「想像力」です。一生懸命考えてみてください。いいアイデアやヒントがもっと見つかるかもしれません。そして革命も。 (^^ゞ ちょっとお付き合いください。 |
|
「スライディング
ウエイトシステム」 |
「フローティング
ウエイトシステム」 |
「パワーボールウエイト」 |
|
さぁこの言葉から、あなたならどんなスタビライザーと性能を想像できますか? |
|
では、次に。。。 |
|